本質

2011年7月23日(土)

今週は1800年代のピアノに触れる機会に恵まれた。
トラベルソ (Flauto Traverso) 奏者のA先生が所有するErard, Pleyel, Boesendorderの調律を依頼されたが、全て1850年以前に製作された物だった。
当時のピアノは、現代のピアノへ変化する途上にあるので、様々な工夫が施されている。現代のBechsteinやSteinwayの構造の原点になる発想を確実に見付ける事ができる。

忘れてはならないのは、クラシック音楽として現代耳にする多くの楽曲が、この前後の時代に作られている事だ。音楽家と楽器製造者の距離は今以上に近く、双方の影響が楽器のみならず楽曲の個性を育んだといっても言い過ぎではない。
特に、当時のPleyelに実際触れると、演奏家やCDで耳にするパワフルなショパンはあり得ないだろうな。。と感じる。
美とはかくあるべきだ、という事ではなく、音楽の響きに対する美の感覚は確実に違っていたと思う。そして、それを覗くことが許され、知る事で、現代に生きる自分の価値観も確実に変化し、音楽の機微を感じる事ができるようになってきたと思う。

さて、ここですこし当時のピアノの技術的な工夫を:
下は、1835年製のエラールの高音部分だが、現代のピアノで使われるカポダストロバーの原型を見る事ができる。エネルギッシュというよりは、高音部分での響きの拡散を感じる事ができる。
その下の写真は、大体同じ時期に製作されたプレイエルの同じ部分。ベヒシュタインも長く採用していた総アグラフの考え方に繋がる。

Erard 13809

Pleyel 6592

響きの違いについて、視覚的な構造の解釈をしてみるだけでも考察できる。そして、ショパンの響きに対する意識が何処に向いていたのかも、楽器の構造の比較からも推測できる。

さて、今週は19世紀に製作された楽器について、とても悲しい出来事があった。
ショパンはノアンのサンドの家で、ホームパーティーや人形劇に興じたと言われている。そのサンドの家には、プレイエルのアップライトピアノが置いてある。そのピアノと略同タイプと言って良いピアノの話だ。

数週間前の話だ。ある愛好家の方からプレイエルの象牙が通関で通らず、ワシントン条約以前の製造物という証明がどうにも取れないので、象牙を通関する為に剥がさなければならなくなったのでその作業をして欲しい。という趣旨のメールを頂いた。
そして昨日、象牙剥離をするために、ある物流業者の大田区の保税倉庫にいき、そのピアノに出会った。
グランドピアノを想像して現地に行ったのだが、サン=ドネのプレイエルの展示室に研究用として置かれていた、ジョルジュ・サンドの家のピアノと同モデルのピアノをすぐに思い出させるアップライトピアノだった。
確実に日本でもそのピアノの価値と製造年は製造番号から証明できる物なのに、書類の不備が理由で象牙を剥がさなければならない事が、動物愛護の目的で締結された条約の本意だろうか?
思わず、バーミヤンの遺跡を破壊する行為と同じような事に自分には感じる。と担当の方に言ってしまった。

象牙剥離作業
exfoliate of ivory key covering

剥離した鍵盤
Pleyel 18105 keyboard

このワシントン条約に関わる通関制度の解釈に疑問を感じる。もしこれがドイツやフランス、アメリカの通関だったらどうしただろう?

申し訳ないが、この業務を司った責任者の決断は愚の骨頂としか言えない。あなた方に、150年の時を経ても人の心を震わせる文化の一部でも破壊する権利はあるだろうか?

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