相対

2014年9月4日(木)

先日工房コンサートの打合せを、ユーロピアノの八王子工房で行なった。
本当は自分も同席させてもらう予定だったが急な打合せが入ってしまい、ベヒシュタイン C型の調律をキルンベルガーで朝行、準備だけして急ぎ打合せ場所に向かった。

電車の中で電話が鳴り、見るとピアニストの末永さんから
何かしら不都合でもあったのかな?と思いながら電話に出る
S「どんな調律ですか?」
K「前回と全く同じキルンベルガーですよ」
S「一度ミーントーンを経験するとあまりに均一な感じで確認したく」

前回の打合せでも、メンバー皆んなで
「だから平均律なんだ」
と、思わず顔を見合わせる事にもなったのを思い出した。

そう、ミーントーンでは広すぎる五度ウルフがあり、五度も三度も両方汚くて凄い部分がある。
また、音階の階段も妙にぎくしゃくしていて、音痴な感じをどうしても受けてしまう部分がある。
しかし、汚さがあるからこそ生きてくる響きの意味があり、表現の深淵がそこにあるように音風景が広がった。

特にモーツアルトでそう感じた。
そこからは、曲想の意図を感じさせられ、音の配列の天才的な計算の秘密が垣間見えた。

CB image

現代のいわゆる平均律で馴らされた耳で、キルンベルガーで調律されたモダンピアノのベヒシュタインを弾いたら、いつもとは違う違和感を感じる筈だ。
しかし、ミーントーンを体験した耳で、不等分律のキルンベルガーでバッハの平均律曲集を演奏すると、まさにその“調性は平均的”なのだ。

10月の今度の工房コンサートでは、この辺りの検証が行なわれる予定だ。

基準を何処に置くかで感覚は大きく違う。
多様性、この言葉の意味を考える事で最近楽しみが増えている。