今週は開放的なアメリカと哲学なドイツに響きの旅をした。
門前仲町にピアノサロンがある。ここのオーナーの奥様が同じ高校出身の同郷の方だということもきっかけになり、調律に伺う事になった。
ここには、アメリカのピアノが設置してある。
一台はニューヨークSteinway B、もう一台は、ボールドウィンだ。
もうずいぶん前の事になってしまったが、キャピトル東急のけやきグリルというレストランに置いてあった、戦前に製造されたSteinway Dの定期調律を担当していた事がある。
門前仲町のピアノサロンのSteinwayの響きは、昔、そのレストランのピアノに初め触れた時に感じた、同じ響きの輪郭との邂逅だった。
いつも触っているC.BECHSTEINの響きの輪郭とは全く異なる強い個性が、自分にはある意味とても新鮮で楽しい。
もう一台、アメリカを代表する別のメーカーのピアノ『ボールドウィン (Baldwin) 』が、そのサロンにオーナー宅から今回移動された。以前、アメリカにお住まいだった時、当地でお使いになっていたピアノだそうだ。
Baldwinは、70年代から87年に至るまでC.BECHSTEINの大株主になっていた会社だが、構造はとてもユニークで、ベヒシュタインの響きとは全く違う。まるで、はっきり喋る米語のような響きだ。
クラッシックやジャズの録音データーでたまに見つける事ができる、BaldwinのSD10というモデルの開発は、ベヒシュタインの技術者の協力があったと聞く。
が、しかし、CD等で聴くこのモデルの響きも、やはりC.BECHSTEINの印象からは大きく離れる。
(有名な記録では、J. ボレットのボールドウィンとベヒシュタインを使用した公開レッスンの映像と、録音があった筈)
やはり、どこかアメリカを連想できる響きの輪郭だ。
クラッシックにも他のジャンルの演奏にでも、ユニークな表現同様 ”響きそのもの” に感動する事がしばしばある。
翌日は、ドイツの響きと向き合う仕事だった。
ベヒシュタインが設置してある、大森駅近くの山王にあるサロンがある。この秋にベヒシュタインとスタインウエイの両方のピアノを使用した、着物を着て演奏される大物ピアニストのコンサートがあるという事で、その為のコンディションを探る意味も兼ねた調律だった。
ベヒシュタインの響きは、自分に取って慣れた感じではあるが、響きの形を整える心の場所は、昨日と全く違った場所に誘われた。
量産のピアノからは決して感じない、”ユニークさとの戯れ” が、調律師としての自分の栄養ドリンクにる。
同様に、いやそれ以上に、演奏家の生みの苦しみの助けにも、”栄養になり得る響き” が必要だと思う。