年末年始少し時間が取れたので、今までちゃんとやろうと思っていた事の一つを思い立ってPCの前に数時間へばりついた。
ショパンピアノコンチェルトの現代の楽器での演奏表現とオリジナル楽器による演奏表現との比較だ。
オリジナル楽器での演奏はやはり、
ピアノ:仲道郁代
指 揮:有田正広・東京クラシカルプレイヤーズ
と
比較対照モダンは
ピアノ:キーシン
指 揮:ズビンメーター・イスラエルフィル (2011.12.24)
を何度も聴き比べてみた。
キーシンとメーターの演奏は、外声の旋律の動きが常に前面に出ている事を前提に、ピアノの響きがオケの響きの中に溶け込みながら、内側から外側に響きそのものが豊かに抑揚する。その旋律に絡まる大きな響きの抑揚感が聴き手の気持ちを掴みにくる。
に対し仲道さんと有田さんのオリジナル楽器での演奏は、響きの中にある粒だちの良い外声と内声が、略同じウェイトで出たり引っ込んだりし、オペラで体験する重唱の旋律が絡む事がハーモニーの豊かさを強調するように、ピアノの“ある声部”と、旋律的なパートとして動くオケの楽器の絡みが聴き手の精神を集中させる。
描写対象が同じで略同じ色を使いながらも、キャンバスに表現される絵画の陰影と輪郭感が全く異なる。という感覚だ。
一番の第一楽章が始まり11分位から約3分にわたるピアノソロとオケとの絡みの部分を抜き出して夫々比較して聞いてみると、主旋律以外のオケの楽器を含む各パートのバリューの持たせ方が確実に異なって聴こえる。
こうして小刻みにしてディテールに注意してみると、現代楽器での表現とオリジナル楽器での表現の乖離が著しく大きい事に気付く。
ショパン自身は当然の事ながらオリジナル楽器の響きの中で演奏する(される)事を前提に作曲し表現していた筈である。
さて、果たして楽譜に書いてある事を読み取り、表現する上で楽器の手助け無しで何処まで可能なのか?
と言う疑問が比較すればするほど強くなった。内側の抑揚に満ちた仲道さんと有田さんの表現は、オリジナル楽器の響きに出会う事で、良い演奏者特有の直感による自然に生まれる表現だと感じるからである。
しかし、キーシンとメーターの演奏は魅力的なのだ、だとするとこれのような表現を見本にしたい演奏者が沢山いても不思議ではない。
だが、作曲者の意図した事は出来る限り表現してみたいし、聴いてみたい。なぜなら聴かせどころ、泣かせどころが現代的なダイナミックな演奏では聞き取りきれないから。。
温故知新 このテーマはあらゆる部分で僕には必要だ。