模索

2009年10月22日(木)

週末、ピアニストの稲岡千架さん・末永匡さんの工房コンサートを行った。

音楽愛好者にピアノは手工業作品である。という事をPRしつつ『パリ左岸のピアノ工房』にあるような、音楽愛好者のピアノ工房への関心をコンサートを機に少し喚起したい。と考え企画し、工房の皆の協力で成立した。

802 Konzert

今回の試みで注目すべき点は、フォルテピアノ二台による連弾だったと思う。
特に、のだめカンタービレで有名になったモーツアルトのピアノ連弾曲 2台のピアノの為のソナタ D dur K448 を、おそらく1700年代後半に”作曲者の彼自身が体験していた響きに近い雰囲気”で、会場にいらっしゃた方は体験できたのではないだろうか。

一台は1830年代のRosenbergerオリジナル楽器で、もう一台は1815年のDulckenの作品のレプリカ(Neupert製作)だったので、コンサートに使用したフォルテピアノの時代はモーツアルトの生きた時代よりも若干後になるわけだが、モダンピアノで通常聞く響きに比べれば随分趣が違い、楽器の構造から見ても18世紀後半の響きに近い筈である。
生きる時代で趣味も違うので、はやり廃りもあるであろう。時代により表現の趣が違い、聴き手の掴みの部分も違うかもしれない。
しかし、音符と音符の間の存在を、音楽の製作者自身は表現してたのだろうと、フォルテピアノでの演奏を聞くといつも感じる。

802 Konzert Fortepiano

ベヒシュタインを初めて体験する演奏者の中に、現代に生活する我々の耳に慣らされた”通常”の響きの感じとの相違に戸惑ってしまわれるケースにしばしば遭遇する。さて、慣らされた感覚とはなんだろう? そもそも、”現代の誰か”のパフォーマンスであったのではないだろうか。ならば、そこに慣らされ留まっている限り、表現のトイフェルスクライス(悪循環)から抜け出せないのではないだろうか。

弾き手の心に、養老孟司さんの言うところの“壁”があっては、ピアノは聴き手にとって、ますますつまらない楽器に成り下がってしまう。

次ぎはいつになるかまだ決めていないが、工房コンサート、又計画してみたい。

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