1991年のフランクフルトムジークメッセでだったと思うが、フランスのピアノとして紹介されていたRameauのグランドピアノ188の響きは印象的だった。
ラモーのピアノはたまに南ドイツのピアノ店に仕事で伺うと見る事があったのでブランドは知っていたが、グランドピアノはメッセで初めて体感した。
鉄骨の色もワインレッドで、シャルマンで響きもデザインもとてもフランス的だった。この頃どっぷりドイツに漬かっていたので余計に異質な感じを受けた。が、魅力的だった。
女性の音域辺りが楽に旋律を歌うような感じで鳴り、さりげなく、しかし、ヴォリュームのある響き、柔らかなタッチが個性の主張のように感じた。
日本に帰国後、Rameau(ラモー)を日本で総代理店として扱う事になった。
自分は、アップライトよりグランド188の雰囲気が独特で好きだった。
日本市場への導入は、個性的なグランドピアノを全面に出しながら、丸みを帯びた外装デザインの小型アップライト機種2機種が扱い品目の主流だった。
Rameauは1972年にPleyel&Gaveauの技術者が中心になってプロヴァンスのアレスに作られた会社だった。70年にPleyel&Gaveaは倒産してしまったが、フランス政府の資金援助が、廃坑で失業者が多かったアレスででの工場を再建を条件に受けられる理由で同地が選ばれたと聞いた。
社名は、倒産後の処理の関係でPleyelやGaveauのブランドを使用する事が許されず、フランスの音楽家のRameauを取ったと言う事だった。しかし、輸入していた小型のアップライトピアノ、お城の名前を取ったCenonseauやBeaugency は、倒産前のPleyel&Gaveauの図面から製作され、往時の設計を踏襲したモデルだった。
20数年後の94年に、Rameau社はPleyelのブランドを買取り、南仏アレスの工場でPleyelブランドのピアノの製造が開始された。96年には工場の名前をもRameuからPleyelに変更した。
自分は技術者なので、ラテンヨーロッパ的なファジーな仕上げに立腹する事もあったが、ドイツ人の感覚とは違う響きの雰囲気が、日本市場でファン層を年々厚くしていった確実な手応えはあった。
しかし、世界的な目で見れば、ヨーロッパやアメリカでのマーケティング方法は、低額モデルではアジアメーカー、グランドピアノではドイツメーカーの力に叶わなかった。
ヨーロッパ市場ではショパン時代のPleyelやコルトーの時代の楽器を好む層の期待、現代の楽器を好む層の期待夫々への呼応が、何処かミスマッチングしてしまったのかもしれない。
今、新しいオーナーが、どのような新ビジョンで再建できるかを模索しているというニュースが、アレス時代の工場長からEメールで届いた。
自分としては、コルトーの時代へ遡る事ができるグランドピアノを造るエネルギーを蓄えるために、CenonseauやBeaugency 等一般のピアノファンが購入できるフランスのピアノを又造る事ができないか願ってやまない。確かに、アジアのピアノのヨーロッパでの攻勢は、フランクフルトメッセに展示されるブースの変化からも容易に理解できる。スーパーカーのようなピアノを製作する事のみがヨーロッパのピアノの主張ではない筈で、Identityの分析と効率性の追求で、時代に意味を持つピアノがフランスでも製造できる筈だと思いたい。
2007年、アレスの工場を閉鎖しサン=ドニに工場を移した。プレイエルは外装が特殊なデザインピアノとフルコンサートの製作に特化したが、これは先に述べたIdentityの分析と効率性を追求した結果とは考え難く、その結果が市場の反応に現れたのではないか。
音楽・表現力をプライオリティーにした、伝統を継承する魅力的な現代のフランスのピアノ。
僕は魅力あると思う。悪貨に駆逐させてはいけない。