2012年3月18日(日)
Die Kunst der Fuge とはよく言った物だ。
調律が終わりリフシッツのリハーサルが始まった。その演奏は、バッハの創造した響きの構築美の偉大さを改めて僕に提示し、音楽そのものに対して畏敬の念を抱かせた。
時の流れと共に変化する、光の陰影にも錯覚する“響きの形”を、彼はホールの空間に描き出した。
リハーサルでは全曲演奏されず曲のある部分が繰り返されていたが、立体感が変化して行く事にただ驚いた。
少し大げさな表現かもしれないが、彼の音楽を聴いた自分は率直にそう感じた。
タッチの際に生じる小さな雑音成分に自分の集中力が妨げられるので、それをなんとかして欲しいと言われ、リハーサル後にアクション関係の調整を再度行なったが、今回(3月15日)紀尾井ホールに運び入れたD-282の調律や整音に対して、彼はそれ以上の特別な要求はなかった。
リフシッツは、ベヒシュタインの響きの個性を理解し、それを見事に表現に生かしていた。
演奏会が終わった後、舞台袖にいらっしゃった何人かの人が、口を揃えて「不思議な響きのするピアノですね。」
と言っていらしたが、僕は、ベヒシュタインの響きそのものは無垢な物でピアノの響きそのものが不思議な物ではなく、彼の造り上げる“響きの形”が、普通我々がピアノ演奏で体験するものと違い大きな立体感があり、それが“いつもの感じとは違う”事を感じられた事ではないかと思う。
何故、彼はDie Kunst der Fuge(フーガの技法)のCDの録音にベヒシュタインを選んだのか、自分には十二分に理解できたリサイタルだった。