2009年1月12日(月)
小学生の時からの親友が海外赴任先から一時帰国をすると言うことで、彼が趣味にしている尺八仲間のアンサンブルの会が多治見の修道院のログハウスで行われ、その集いに、昨日タイミング良くお邪魔させていただく事ができた。
娘が日本舞踊をしているので、その伴奏として邦楽を聴いた経験は何度かあるが、至近距離で様々な年代に作られた曲を、合奏として聴かせていただくのは初めてだった。
40年程前に作られた壱越(字があってるのかな?) は、印象派のような感じで響きの揺らぎの中に旋律を感じる事ができた。反面、その他いろんな曲全般で感じたのは、アーリーミュージックとの共通性で、テンションの低い弦はリュートやクラビコードの響きと、そして、尺八も昔の木製フルート等と似ている音色があり、旋律の感じこそ違えど、中世ヨーロッパ音楽との類似を感じた。
前にベヒシュタインの技術部長が
「ラジオ、テレビ、そして自動車など交通機関の騒音が人の音に対する嗜好を変化させた。」
と言っていたが、日本の鎖国時代の変化の少ない社会生活が、邦楽と洋楽 の大きな違いになったのだろうか?
有に着色する世界が一般的になっているが、無から有が浮かび上がる時間の共有を、友のおかげさせてもらえた。ありがとね。赴任継続頑張って!