鍵盤

2011年6月19日(日)

いかん。いいかげん更新しないと。ここの所湿気の影響で作業に普通より時間がかかる。。野暮用も入る。。。。

鍵盤の重さの調整で重要なのは、ある押さえる力 (down lift) で下がった鍵盤が、再び上がる為に押さえる力 (up lift) はどういうバランスになるか。という上げ下げの重量バランスにある。
ドイツ語だとNiedergewicht と Aufgewichtと言う事になるが、ベヒシュタインでもこの二つのをどういうバランスにするかはかなりシビアにコントロールされていた。弾きやすいか否かはこのバランスに寄る所が大きいからだ。
上手く行かないで困っていた自分にAufgewichtがxxgになるようにNiedergewichtを決めなさいと、ベルリン工場当時のマイスターにぼそっと耳打ちされた事がある。

軽い鍵盤=いつもdown liftが軽い と言う事ではない。重要なのは軽く感じるか、重く感じるかである。
このいい感じのバランスは、アップライトピアノとグランドピアノでも異なる。

Klaviatur

鍵盤の重さそのものは鍵盤に鉛等を追加したり、木部を削ったりしてコントロールできるが、このupとdownのバランスはアクションの動き全体の問題になる。
先日別件で特許庁のホームページを見たときにデジタルピアノの鍵盤特許が掲載してあったのでじっくり読んでみた。
このような発明を目にすると、果してアクションの発明された1700年から現代のアクションが完成し落ち着くまで、180年近くもかかって人間の感覚と整合した響きの変化と慣性の作用の成果を、違う方法で模倣する事が叶うのか?また、その必要が本当にあるのか?と疑問を感じる。

弘法筆を選ばずと言うが、弘法様も良いー筆と墨と紙があった方が、表現の可能性が広がる事は間違いないと思う。ただ、弘法様が使っていた道具をイミテーションすれば万人が満足する。という訳にはいかないだろう。
道具に対して能動的でなければならない分野に、効率化を優先させ、適当な科学的根拠に基づく改造は排除していきたいものだ、と願う。

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