主張

2010年3月19日(金)

ショパンのプレイエルとの関係と対照的に、リストはフランスではエラールを、ドイツではベヒシュタインを好んで使ったという。

今回、調布の音楽大学にある1850年製のプレイエルの調整を行った。
ショパンが亡くなった直後の年代にあたるが、この前後の時期に、今日のヨーロッパを代表するピアノメーカーが自らの工房を立ち上げている。
ベーゼンドルファーがWien、ベヒシュタインがBerlin、スタインウェイがNew Yorkに。
チェンバロにハンマーアクションを搭載したフォルテピアノが各地でモダンピアノへ変化し始めた時期である。産業革命が遅れたドイツは、フランスのプレイエルやエラールの後発になった。

Pleyel

モダンピアノとフォルテピアノの大きな違いは鉄骨の搭載有無だが、そういう意味でこのプレイエルは、もうモダンピアノと呼ばれておかしくない構造に進化している。

ショパンがプレイエルを愛用した時期である1830~40年代に造られたピアノにも鉄骨は存在しているが、50年代の物は鉄骨の骨組みも堅牢な感じになっている。かのエッフェル塔が、それから約40年後の1887年に着工し無事故で完成させたと言う事から考えれば、当時の金属加工技術はまさに日進月歩という言葉通りだったのであろう。

Pleyel Rahmen

しかし対照的に、響きの顔の部分。鍵盤を弾いた時に指先に感じる打弦の瞬間と、その音の飛沫のような広がりは、ショパンが使用していたピアノ(1830年代)と同じように感じる点は興味深い。

技巧を優先したリストは、エラールの連打性を優先させた。しかし、ある意味弾き難いプレイエルのタッチは、クラビコード的な感覚さえ覚える程、色彩感を指先に感じる。

Pleyel Mechanik

ショパンとリストの対象的なピアノに対する趣味嗜好の違いは、芸術的に優先させるべきファクターになっていた筈だ。

ますます現代のピアノのホジションに対する疑問が膨らむ。

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