回帰

2010年2月26日(金)

今年は、シューマンとショパンの生誕200年という年になる。
僕は、シューマンの音楽も大好きだが、音楽の感じからか、その生き様からか、ショパンの人気は高く、ショパンに絡めた演奏会が今年は多く企画されている。

ショパンと言えば、ピアノ製作者のプレイエル (Pleyel) との親交の深さは言うまでもなく、様々なエピソードが語られている。
フランス・ノアンのサンドの家にもプレイエルのピアノがあり、ショパンはその広いリビングルームで、友人の前で人形劇に興じたりピアノを演奏していたという。又、パリでのショパンの演奏会は、プレイエルのサロンで行われていた。

今月21日、仲道郁代さんのコンサートが、東京赤坂のサントリーホールで行われた。そのコンサートに、トラベルソの有田正広先生が所有する1839年製のプレイエルピアノが使用された。
演奏会の数日前に同ホールの楽器倉庫に無理を言って保管してもらい、楽器をホールの空気になじませる所からピアノの調整が始まった。
演奏会の2日前、仲道さんと楽器庫内で調整(タッチ・音色)についての打合せを行い、本番挑む事になった。
当日のピッチは、楽器の状態と調律の保持の関係から、a1=427Hzで行った。現代のコンサートはa1=442Hzなので15Hzの差になる。そして、音律は平均律ではなく不当分律で行った。
絶対音感のある人からすれば、あり得なく、奇異な感じを受けても仕方の無い音程感のギャップだ。

しかし、それがショパンの生きていた時代の響きであり、その響きの中で彼はインスピレーションを受けながら曲を作っていったのだ。200年という節目を考えるに、奏者にとっても、聴き手にとっても意義のある体験になったと思う。

前半と後半にはスタインウエイが使われ、間にそのプレイエル・ピアノが使われた。

Nakamichi mit Pleyel

舞台袖のモニターのスピーカーから聴こえる響きは、コンクール等で体験する物と全く違う世界にあり、彼の可憐な心と、よく言う所である祖国への思い、そして悲哀さを感じる事ができるパフォーマンスだった。
こうして、自分もコンピューターを使っているし、世の中の何もかもがデジタル化しているが、節目節目での価値観についての原点回帰が、自分自身を見失わない為に必要だという思いが、仲道さんの演奏を聴き、更に強くなった。

ピアノは3月7日(日)、池袋の東京芸術劇場で行われるショパンのピアノコンチェルト(ピアニスト:仲道郁代さん/指揮:有田正広さん)の為の再調整に、八王子のユーロピアノ工房に運び出された。

Pleyel Transport

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