相承

2011年8月26日(金)

ここ数日、戦前に製作されたベヒシュタインの調整が続いた。
そのころの価値観は随分現在とは異なり、こういう楽器に触れる度、誰かから原点を再提示されているような感じを受ける。

昔の録音を聴くと
「これはマイクや録音技術の問題で今とは違う感じの響きになっているのかな?」
と思われる方は多いんではないだろうか。自分も状態のいい古い楽器にしばしば触れるようになるまではそう思っていた。
しかし、実際古い楽器から出てくる響きに触れるとその原音が古い録音で耳にする響きと同じ事を知る。

1世紀前の人達の価値観を音楽以外の場面でもっと理解してみたくなる。

全てが早いサイクルで回る現代社会だが、知恵とは何だ?と、こういう楽器を触る事が多くなったからなのか、最近よく考える。。。

ピアノのメカニックは当時から複雑で正確に造られている。と言うか、現在の物よりも更に時間を惜しまない工夫の結晶を見る事ができる。同じような事が他の製品にも言えるのではないだろうか。

Abstract of Bechstein grand piano

上の写真は鍵盤とアクションの一番下の部分を連結しているAbstractと呼ばれる部分だが、正確に1本ずつ鍵盤と連結させ、天秤で鍵盤とアクションの隙の距離を調整している。
現代は、丸い頭のPilotと呼ばれる螺子に変わった。
例えばこのシステム一つをとっても、製作と高いスキルを要求する調整時間を削減する為の変化である事が理解できる。

Jack of Bechstein GP from boxwood

今は高価になってしまったツゲ材からできたハンマーを蹴り上げるJackと呼ばれる部品は、1世紀という年月の経年変化と言う概念は必要ないと言い切れる程の安定を感じる事ができる。

我々の祖先のこうした英知を理解できず経済行為だけの為に簡単に破壊してしまう愚とは、我々のジェネレーションで決別しないとならない、と、ここの所感じる事が多い。

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