自然

2015年1月13日(火)

先日伺ったお宅の窓は広い公園に面していて、真冬でありながら天気が良かった事も手伝い、暖房も入れず窓を少し開けて調律をさせていただいた。
開いた窓からは、通行人の話し声や公園内の放送に混ざり野鳥の囀りが聞こえてきた。
私はどちらかと言うと自然派なので、身の回りに緑がないと心が落ち着かない。ゆえに八王子の中でも緑の多い場所を選び生活している。
子供が小さかった頃、作った巣箱をバルコニーに設置していた事がある。
その巣箱では雛は孵らなかったが野鳥が頻繁に出入りしていた。
そんな生活環境のせいか、鳥の囀りは自然に私の中に溶け込んでいる。

調律をしながらの野鳥の囀りは、新たな不思議な経験となった。
野鳥の囀りは比較的高音なので、囀りに意識が傾く事により、自然に倍音を意識することになる。
普通我々が東京の生活環境の中で体感する高音は、蛍光灯など電飾から聞こえる音、家電のモーター音など、電気器具が発する無機的な音が殆どではないだろうか。
私は無機的な高音は特に苦手なので、無機的な高音が聞こえる現場では、どうしても高音をネガティブに意識してしまう。
しかし今回体験した事は、囀りは私にとって決して嫌な高音ではなく調律中にもかかわらずとても心地よく耳に届いていた。
その、野鳥の囀りが誘う高音域の倍音をポジティブに感じる事ができた結果、調律の結果に独特の効果をもたらしてくれた。

Park

演奏者の立場ならどうだろう。
オーケストラでは動物の声などを意識したような場面にしばしば出会う事があるが、自然の音を意識しながらのパフォーマンスそして音作りは、音楽の原理原則を思い出させてくれるのではないだろうか。

そこにはデジタル楽器の介入余地があるだろうか?