時代

2015年8月1日(土)

今、渋谷のBunkamuraでエリック・サティ展が開催されている。当時の様式に適合するピアノとしてベヒシュタインをチョイス頂き、1920年代に造られていた設計のE型が展示されている。当時のピアノ、特にベヒシュタインではその傾向を強く感じるが、19世紀初頭に製造されていた、弦の張力が弱く鉄骨が無いピアノ、現在では一般的にフォルテピアノと呼称されるピアノの響きを強く残している。ベートーベン、シューベルト、ショパンはそのような張力の弱いフォルテピアノを使い作曲や演奏会を行っていたわけで、作曲者達自身は現代のマッチョな響きの世界も新素材の家具も家電も知らなかった。なので、古典やロマンの音楽の考察を行う場合、その時代に彼らと一緒に存在したもの全体を感じてみる必要がある。
今回のサティ展で1920年代のベヒシュタインを取り上げているのは、20世紀初頭全体の様式・音楽を捉えるのに外装デザインの意味においても、響きの印象においても、サティの前時代との橋渡しも会期中の高橋アキさんの演奏から自分は感じ取れた。
サティとドビュッシーの交友関係を考えれば、当時のピアノ、また音楽の響きのイメージを伝えるメッセンジャーとしてベヒシュタインE型の展示は意味が大きいと思う。

C.Bechstein E

さて、今年はアレクサンドル・スクリャービンの没後100年にあたる。記念年ということで、会社の汐留ベヒシュタインサロンでもスクリャービンのプログラムが組まれた演奏会がいくつか企画されているようだ。スクリャービンの音楽は、ポリフォニーな表現で構築される立体感のある響きの構造美を感じる。
汐留サロンのTさんがロシアのスクリャービン博物館より資料を取り寄せてくれた。
彼自身が使っていた1900年代初頭に製造されたベヒシュタインが同博物館に展示されている。
Tさんが調べてくれた博物館の案内資料によると、スクリャービンはこのベヒシュタインで以下の曲の初演を行ったそうだ。

・ピアノ・ソナタ 第8番 Op.66 [作曲年:1913年]
・ピアノ・ソナタ 第9番「黒ミサ」 Op.68 [1913年]
・ピアノ・ソナタ 第10番 Op.70 [1913年]
・2つの詩曲 Op.69 [1912-13年]
・2つの舞曲 Op.73 [1914年]
・5つの前奏曲 Op.74 [1914年]
・ 詩曲「焔に向かって」 Op.72 [1914年]

ホロヴィッツが1986年モスクワ公演の際この記念館を訪れた姿

A.N. Scriabin was well known for his addiction for Bechstein pianos, choosing them for concert performances. The one which belonged to him (serial No. 101682) was a present, generously made by A.Diederichs in 1912. The latter served for the Bechstein company as a sales and concert agent in Russia.
Actually Scriabin preferred to write music without any help of the keyboard, but of course he could spend hours at his piano improvising or performing the finished pieces.
After the composer’s death the honour of playing this precious instrument was given only to the foremost musicians – “the Scriabinists” – of that time. This tradition is kept nowadays. The ivory keys remember the touch of A.Goldenweiser, V.Horowitz, V.Sofronitskiy, H. and S. Nuehaus, S.Richter, A.Nasedkin, M.Pletnev, N.Lugansky, D.Trifonov.
This piano never came through any serious repairs but tuning. All the Bechstein mechanism remains genuine. (Copyright of A.N.Scriabin Memorial Musuem)

彼らが良とした響きの世界。その時代を感じることはとても興味深い。