会社が企画して行うドイツ人ピアニストの日本でのレッスンは、93年からシリーズ化された。それが年に2、3回にも膨らんだのが3年後の96年頃だった。
僕は、93年にドイツでのマイスター試験を終え帰国し日本でのベヒシュタインの仕事をスタートさせたので、ドイツ人ピアニストのレッスンのシリーズ化と丁度時期が重なった。
首都圏は、ドイツ語圏にピアノ演奏の勉強のため留学して帰国したピアノの先生を、通訳として見つけるのはそれほど難しいことではなかったが、地方に行くとピアノのレッスンやレクチャーのために、ドイツ語の通訳を探すことは当時は困難だった。
そんな背景も手伝い、恐れ多くも自分が公開レッスンや、講座の通訳を行うことが年間で延べ3週間近くあったと思う。
自分はピアノ製造こそ勉強したものの、ピアノ演奏をドイツで勉強したわけでないので、ドイツ語の専門用語を理解する事が移動の電車内での課題になっていた。
しかし彼らのレッスンやレクチャーは、専門用語が必要とされる弾き方のレッスンに留まらず、常に、音楽についての様々な解釈の提示があった。
これらの通訳は単なるドイツ語から日本語への言葉の正確な転換を超え、否応なく概念の理解を迫られた。
この概念の読み解きが、何よりも自分の心を毎回感動させてくれた。
良いものは、感動に理屈はない。しかし、解釈によって創造主の心の中にあったであろうものに触れることにより、聴き手側にも様々な要求がでてくる。
絵画も文学も、解釈の基礎知識があるのとないのでは、作品の真価の理解が異なってくると思う。
今度また自分にピアノの演奏表現の楽しさを提示してくれたドイツ人の先生の一人マティアス・フックス教授のレッスンとレクチャーがベヒシュタイン汐留サロンでなどで行われる。
今度はどんな刺激を与えてくれるのか楽しみだ。