多様

2015年10月30日(金)

今朝の朝日新聞の折々のことばで取り上げられた哲学者の言葉に、日々我々が経済社会において価値観のベースにさせられている事と、本来尊重されるべき部分との乖離の現実が、改めて提起されている気がした。

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朝日新聞 2015.10.30 朝刊から引用
多様性は……多様な存在の外からその数を数えるような一個の存在に対して生起するのではない。
(エマニュエル・レヴィナス)

多様性の尊重には、一人ひとりが異なる存在であることが前提となる。人びとが数で一括りにされるところに多様性はありえない。人はその個別性においてこそ輝く。20世紀フランスの哲学者は、だれかを別のだれかで置き換え可能と見るのは、人間に対する「根源的不敬」であると言う。「全体性と無限」(合田正人訳)から。
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せめて芸術表現においては常に、この、根になる部分が尊重されて欲しい。
今度、ノアンフェスティバル・ショパン・インジャパンと称したイベントを行う。イベントの趣旨の中に創作者の意識の解釈を意識した多様性の尊重がある。

 

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以下、イベントの紹介文の一部

ショパン存命中に製造されたプレイエルを初めて調律したとき、その“響きの鮮明さ”に驚かされ た。これはエラールや、ウィーン式のフォルテピアノで体感した感覚とは全く異なるものだった。
響きが鮮明ゆえ、同時に鳴るそれぞれの音の認識、打弦タイミングのズレが明確に聞こえる。ハン マーの打弦を指先に感じるアクション構造と、響きの鮮明さの両方が、まるで指で弦を直接かき 鳴らしているような錯覚さえ覚えさせていることに気がついた。
この時「ショパンは体調の良い時にはプレイエルを好み、体調がすぐれ ない時はエラールを弾いた。」という言葉の意味が理解できた。
プレイエルのヒストリカルなオリジナル楽器でピアノの名手による演奏を聴くと、音楽のダイアログ(対話)が見事に表現されているの が聴き取れる。我々が通常耳にする同じ楽曲の演奏からは認識できなかったダイアログの囁きが、その曲の奥深さを再認識させてくれ る。

ショパン自身がプレイエルでの演奏を好んだ理由はここにあるのだろう。“繊細な表現を”という言葉でひとくくりにしてしまうと、そもそもフォルテピアノ全体の響きが繊細な時代の中にあった彼の美意識のポイントに気づきにくくなってしまう。伴奏部分の音の重なりが背景の色彩を作り、その響きの色彩の中に浮かぶ旋律によるダイアログを表現しやすいピアノが間違いなくプレイエルだった。

現代のピアノと比較する意味で、特筆すべきプレイエルの技術的な工夫の中で響板の構造を挙げたい。
プレイ エルは鮮明な響きを実現するため、響板裏面にブリッジ(表面の)に並行して貼り付けられるメインリブ構造を 採用している。当時、この構造も画一的なものではなく、様々な試作がされているが、どのパターンもベースに 同じ狙いがあることが観察でき大変興味深い。

 

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この“透明感のある響き”というコンセプトを現代に踏襲するピアノは、ベヒシュタインである。ベヒシュタインの創業者カール・ベヒシュタインは徒弟時代にプレイエルのドレスデン工場で学び、さらにパリでプレイエルの流れを汲む”クリーゲルシュタイン”のもとで修業を重ねた。19世紀半ばのベヒシュタイン設立当時に製造されたピアノを見ると、プレイエルの構造に非常に似ていることが判る。この事からも、ベヒシュタインのコンセプトの源流がどこにあったのかを想像することができ、そして、現代のベヒシュタインの響板も、音圧ではなく、響きの鮮明さを優先させる構造となっている。

今回のノアン フェスティバル ショパン イン ジャパンのコンクール本選でベヒシュタインを使用する理由は、“ショパン自身が意図した であろう、鮮明な響きの中で描かれる色彩のコントラストや旋律のダイアログの表現に審査員は耳を傾けたい。”という意味がある。