感受

2016年11月3日(木)

僭越ながら、録音に当たってプレイエルの調律で参加させていただいたことから、今ソニーミュージックから販売されている仲道郁代さんの永遠のショパン、(Sony music label SICC 9002-03, Love Chipin Ikuyo Nakamichi) のライナーノーツを書かせていただいた。

以下、仲道郁代・永遠のショパン/ソニーミュージック SICC 9002-03
ライナーノーツより

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プレイエル・ピアノについて

ショパンとプレイエル・ピアノ

19世紀当時、音楽家がピアノの製造をすることは決して珍しいことではなかった。例えば、1807年に創立されたフランスのピアノ工房、プレイエル社 (PLEYEL) の創業者は、ショパンがパリに渡ってから親交を深めたイグナツ・プレイエル (Ignaz Joseph Pleyel 1757-1831) で、彼はハイドンに師事した作曲家だった。ショパンはその息子カミーユ (Camille Pleyel 1788-1855) と特に親交が深かったようであり、さらにショパンがピアノ協奏曲第1番を献呈したドイツのピアニスト・作曲家カルクブレンナー (Friedrich Kalkbrenner 1785-1849) も、1829年からプレイエル社の経営に携わっている。カミーユとカルクブレンナーがプレイエル社でピアノ製作に携わっていたことを考えると、ショパンとプレイエルとの親交がどれだけ深いものだったか想像に難くない。

こうして音楽家が経営指揮をとるプレイエル社には、さらにアンリ・パペ (Henri Pape 1789-1875) が1811年より数年間工場長として参画した。パペは、フェルトのハンマーヘッドを最初に考案するなど、ピアノ製造史の中で重要な技術革新を成し遂げた人物で、1815年にプレイエル社から独立して工房を立ち上げ、それ以降自らのピアノにも、プレイエル社と同じアクション・メカニズムを採用した。これは、プレイエルより少し前の時代からイギリスでピアノ製作をしていたジョン・ブロードウッド(John Broadwood 1732-1812)が採用していた、「突き上げ式シングルアクション」を応用した機構であった。このアクション・メカニズムの類似性からも、パペのアイデアが、プレイエル社のピアノの技術的な特徴に大きく寄与していたと考えられよう。

また、プレイエル社はグランドピアノのみならず、優れたアップライト式ピアノも製造していた。ショパンは、ノアンのジョルジュ・サンドの館に住んでいた頃、そのプレイエル社のアップライト式ピアノで音楽をつけながら人形劇に興じたという。プレイエル社のアップライト式ピアノは、甘い響きの中でカンタービレな旋律を心地よく奏でることができるという、グランドピアノに匹敵する響きの特性を備えていた。パペは低音弦が交差する「小型アップライト式ピアノ」を初めて製作しているので、プレイエル社が優れたアップライト式ピアノを生み出したのは、パペの技術的な影響を少なからず受けていたためではないだろうか。

 

二つの楽器製造流派

さて、フォルテピアノの個性を考えるに、二つの製造流派があることを意識したい。一つは南ドイツ・ウィーン派、もう一方は、イギリス•フランス派である。ショパンはワルシャワ時代にはフリデリク・ブーフホルツ(Fryderyk Buchholtz 1792-1837)製作のピアノを使用していた。そして、ショパンがパリへ向かう前に滞在したウィーンやシュトゥットガルトは、南ドイツ・ウィーン派のピアノ製作者のメッカだった。南ドイツ・ウィーン派のピアノはアクション・メカニズムも華奢で、タッチによって繊細な表現をするのに適した構造である。つまりショパンはパリに入る前、繊細で可憐な表現を得意とする南ドイツ・ウィーン派のピアノに接する環境にいたことがわかる。

そしてショパンは、パリでプレイエル・ピアノに出会った。プレイエル社の楽器は、上述の通り、突き上げ式アクションを採用していたため、イギリス・フランス派に属していた。パリには当時、もう一人の有能なピアノ製作者、セバスティアン・エラール (Sébastien Érard 1752-1831) がいた。エラール社製のピアノは連打性に非常に優れていて、力強い響きが特徴的だった。そのため技巧派ピアニストのリストは、フランスではエラール社製の楽器を好んだ。一方ショパンは、プレイエル社製の楽器を好んだが、それはおそらくワルシャワ時代から繊細な表現に適した南ドイツ・ウィーン派の楽器に親しんでいたからであろう。プレイエル社製のピアノは、アクション・メカニズムがシンプルであるがゆえに、エラール社製ピアノに比べると、演奏は困難ではあるものの、ハンマーが打弦した瞬間を指先で感じられ、音楽的な繊細さを追求することができた。

人の声のように柔らかい音色、透明感、そして色彩感のある響きこそ、ショパンが好んだプレイエル ピアノの特徴である。プレイエルの楽器は、演奏者の意識で、内声が外声と「自然に分離」し、人が対話しているように「旋律のダイアローグ」を聴き手に届けてくれる。当時のピアノは、現代のピアノと比較すると、全てにおいて繊細だ。その中でもとりわけプレイエル・ピアノは繊細で、その演奏には高い集中力が要求される。繊細だったと言われているショパンの演奏は、色彩感ある響きの中で、旋律を絡めて表現していたのであろう。仲道郁代さんのような名手がプレイエルの楽器を弾くのを実際に耳にすると、そのことをはっきりとイメージできる。

 

仲道さんのプレイエルと今回の録音

今回の録音で使われている仲道さん所蔵のプレイエル社製ピアノは、1842年に製作された。オーバーホール自体はフランスで行われ、日本に届けられた。輸入梱包を解き、実際に楽器を組み立てた時に私がすぐ感じたのは、修復の際には楽器のオリジナルの機構を尊重し、なるべく当時の状態に復元するという方針のもとで、オリジナル楽器の構造を十分理解していた職人によって丁寧に修復作業が行われた、ということであった。それ以来、私は同じ方針に基づき、その仕事を引き継ぐ形で整調と調律・整音をさせていただいている。この楽器は、響きが鮮明であるため、調律をしていても打弦するタイミングのズレまでもが明確に聞こえ、まるで指で弦を直接かき鳴らしているような感覚すら覚えるほどである。

今回の録音の調律に当たっては、ショパンがバッハをリスペクトしていたという点を意識し、完全な平均律ではなく5度圏の12の5度の7つをほぼ純正に、5つを均等に狭くした不等分律を用いることにした。不等分律の場合、3度系の響きが調性によって異なるため、調性が変わると響きのコントラストも大きく変化するという点に特徴がある。それゆえ、現代の平均律で調律されたピアノよりも、それぞれの調の持つ個性がより鮮明に表出され、ひいてはショパンが個々の作品に託した響の個性が、より一層際立つのである。
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他の機会に何度か述べた事はあるが、社で取り扱うベヒシュタインは、フランスでピアノ製造の研鑽を積んでいることもあり、初期のベヒシュタインとショパン存命中のプレイエルの構造は似ている部分が多い。当時のピアノ音楽のパフォーマンスに対するピアノ製作者としてのアプローチの共通点がこの二人にはある。この製造コンセプトを現在に継承するメーカーは少なくなってしまったが、ベヒシュタインと一般的にホールなどで体験することが多いピアノの響の感じの違いの意味が、当時のプレイエルの響を体験するとより鮮明になる。

 

ピアノ曲を聴くとき、発音時の子音、その後にくる膨らみがなす消えゆく音とのコントラスト、レジスターによる響の感じの違い、会話に聞こえてくる旋律同士の対話、色彩の変化など、細かい部分に意識を集中すると、作曲者に対する畏敬の念がさらに大きくなる。