目次
推薦のことば ルドルフ・マイスター /1
刊行によせて 樋口 兼次 /5
前奏曲・はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・17
第一楽章 創立者カール・ベヒシュタイン・・・・・・23
・バッハが生まれたテューリンゲン地方/25
・音楽的「耳」を持った少年/27
・ピアノ作りの修業/29
・九か月かかった最初のピアノづくり/32
・リストの演奏に耐え得るか?/34
・ロンドンの博覧会出品では・・・/36
・拡大の時代―国際市場へ/38
・ビューローとの友情/41
・ヴァグナーからの手紙/46
・ルードヴィヒ二世との交流/48
・ビューローはスタインウェイを弾いたが・・・/50
・コンサートホール・ベルリン/54
間奏曲①・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・57
第二楽章 ベヒシュタイン社クロニクル・・・・・・・61
・一般ブルジョア家庭へ普及したピアノ/63
・専用列車が運行/64
・前衛音楽家からの関心/67
・新しいモデルの開発/70
・守りつづけた音のコンセプト/77
・創業125周年記念/81
・現代のルネッサンス/83
間奏曲②・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・87
第三楽章 ベヒシュタインはこうして作られる・・・・93
・ピアノの哲学―音色を作るのはピアニスト/95
・音は響板が作る/96
・音の立ち上がり/100
・高貴な音/102
・材料・製作過程/104
・・ケース 支柱 ピン板 棚板 響板 響棒 駒 鉄骨 アグラフ チューニングピン 弦 弦設計 鍵盤 アクション ハンマー 脚・ペダル キャスター 外装 木材・接着剤
・モデルの選択をどうするか/133
・価格と資産価値からみると・・・/137
・ピアノの寿命/139
・ピアノの経済学/140
・並行輸入問題/142
・アフターサービス・技術者研修/143
・一流ピアノを持つぜいたく/148
第四楽章 日本におけるベヒシュタイン・・・・・・・151
・首相官邸のピアノ/153
・総代理店となった日本楽器/156
・日本楽器が作った宣伝パンフ/157
・・ピアノの御選定につきまして
・・弊社が選定致しました次第
・・創業者カール・ベヒシュタイン氏
・・ドイツピアノの製造業の父
・・大音楽家との関係
・・伝統的大精神
・・ドイツにおける使用状況
・・現今わが国では
・・東京音楽学校の御用
・第二次世界大戦後から現代まで/175
・コンパクト・ディスク/177
第五楽章 ベヒシュタインあれこれ・・・・・・・・・181
・ベヒシュタインの音色/183
・・高貴な人々に愛された音色
・・経験に音楽的才能を加えて比類ない音色を生み出す
・・ベヒシュタインの音色を絶賛したドビュッシー
・ボレとベヒシュタインー高城重躬氏のベヒシュタイン感/188
・・一世を風靡したベヒシュタイン
・・ベヒシュタインの特徴
・ピアノニストと文明/201
・旧東独リストハウス/204
・ドイツのマイスター制度/208
・入国ヴィザとJRパス/213
・独りよがりの文明/216
・ベートーヴェンをどう弾くか/219
・ドイツには、なぜソーセージしかないか/224
・ドイツになぜ、音楽の大家が生まれたか/228
・青木裕子さんのインタビュー/233
・日本のピアノ・ドイツのピアノ/238
・ピアノに対する「素直な心」/244
・『独日音楽振興会』/247
・ドイツ語と発音/250
終曲・あとがき・・・・・・・・・・・・・・・・253
本文イラスト フアマン・真優美
前奏曲・はじめに
『あなたは、スタインウェイの創立者が、何を考えてピアノを製作したか知っていますか?』
冒頭からベヒシュタインの競争会社の名前で恐縮ですが、ピアノが楽器の王様またはクイーンと言われるようになったのは、比較的新しいことです。
1709年、J・S・バッハが24歳の時、イタリアのクリストフォリが、鍵盤の強弱によって音量をピアノ(弱く)からフォルテ(強く)まで調整できるアクション機構を発明し、この楽器をピアノフォルテと称しました。その後のペダルや連打を容易にする等の機構上の発達は、ベートーベンを待たなければなりません。この程度のことは、ピアニストも音楽大学の学生も知っております。しかしその先のことは、ほんの一部のピアノマニアという人と、ほんの一部の優秀なピアノ技術者を除くと、全く知らないのではないでしょうか。例えば、世界の三大ピアノといわれるピアノは、それぞれどんな特徴を持っているかに関して、ピアニストは、演奏した感覚としては知っていても、知識としてほとんど知りません。「私は、演奏することが使命ですから」と逃げたとしたら、「F-1のレーサーが、メカニックのことがわからずにレースに出場するだろうか?」と反論したくなります。
そこで、例えば、スタインウェイは「鉄を鳴らそうとした」、ベヒシュタインは「響板で音を作ろうとした」、といえば『そんなバカな』と『我田引水』の叱責を受けそうですが、一言で表すとすると非常に納得の行く説明なのです。ちなみに、ベーゼンドルファーは「箱で鳴らそうとした」のであって、それぞれに工夫があり、長所も欠点もあります。この筆者の独断について、三台のフルコンサートピアノのフタを開けて、①目で比較すれば四分の一納得し、②設計・材料の説明を受ければ四分の一、③ピアニストの演奏を一時間聴けば四分の一、④残りの四分の一は、楽器・西洋音楽・歴史・ヨーロッパの市民社会の大気・風土等が、渾然と醸し出す何かが分かれば、その正当性はすぐに証明できます。
筆者がベヒシュタインの販売をはじめて五年になろうとしていますが、常日頃これらの四項目について、機会あるごとに、ピアニストの方へも説明させて頂いているのですが、どうしても断片的で本旨が伝わりにくいのです。そこで、④の項目も含めて、ここに陳述に及んだわけです。
明治三十五年、森鴎外は坪内逍遥の「定見を持しての洋行」という考えを批判して、次のように述べています。
「坪内氏は今後の洋行者は定見を持って行けと言う。しかし自分の経験からすれば、洋行前から自分の確乎たる見解を持っている者は帰国後成績が伸びず、自己を虚しくして人の教えをきき、長年を経て僅かに見解を持つ者は、帰国後の成績は優秀である。効果を充分に発揮しようと欲すれば、洋行前の心理上の能覚受性(apperception)を抛ち、洋行先にて新たにこの感覚を養成すべきである。箪笥の背負って行き、学問をそのひき出しに入れて帰ろうとすることはよくなく、その地でこそ箪笥を作るべきである」(筆者要約)
つまり、鴎外言うところの箪笥そのものを、ドイツで作らなければならない、という説を実践し(ドイツで会社を創設し)、ヨーロッパ文明を規定しているものを筆者なりに、素直に見て、そこから判断すると、日本においては、ピアノに関しても誤った通説というか、無知が横行していることに気がつくことも多いのです。例えば、日本で調律師という職業がすでに存在しますが、ドイツで言う国が認めた職業は、ピアノ製作者(クラヴィア・バウアーまたはバウ・マイスター)です。極論すれば、調律師はまずピアノを製作できなくてはいけない、ということもできます。
クレメンティ(1752~1832、イタリア生まれの演奏家、作曲家、晩年は楽器製作者。今日でもヨーロッパでは、彼の製作したハンマークラヴィアに接することがあります)を持ち出すまでもなく、日本のピアニスト・教師の方々も偏見や通説にとらわれることなく、そしてヨーロッパから日本に持ち帰った箪笥の中身だけを求めることなく、ピアノの構造や、現在に至る歴史に興味を持ってほしいと思います。
もとより筆者は文筆を業としていません。しかしこの拙稿によって、日本製と比較してドイツのピアノの長所がわかり、ヨーロッパの音楽がよりよく理解でき、ヨーロッパ人の考え方に理解を示し、また、この歴史的な視点から、日本の文化現象の良悪が判断できるようになるとすれば、筆者のこの上ない喜びとするところであります。
なお、本書とあわせて、ロナルド・カヴァィエ、西山志風著『日本人の音楽教育』(新潮選書)、ドバイアス・マティー著『ピアノ演奏の根本原理』(中央アート出版社)をお読みいただけると、筆者の意とするところをいっそう御理解して頂けると思います。
1992年11月
戸塚 亮一
注:この書籍の記載内容は1993年発行当時までの情報を元に執筆しておりますので、現在の状況・製品仕様と異なる点も多々あります。予めご理解頂けますようお願い申し上げます。
次回からはいよいよ本編です。お楽しみに。
向井