【連載】ベヒシュタイン物語 第一楽章 創立者カール・ベヒシュタイン

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1.《バッハが生まれたテューリンゲン地方》
カール・フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ベヒシュタインは1826年6月1日、テューリンゲンの山なみの麓、ラウチャとランゲンハインという村にはさまれた肥沃な土地に生まれました。

 

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このあたりヴァルターハウゼンやゴータ、オードルフという町に暮らしていたのは、何もベヒシュタイン家だけではありませんでした。音楽の非常に盛んな土地で、バッハ一族も何代にもわたって住んでいました。その中でひときわ有名なのは、もちろん音楽の父とも呼ばれるヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)です。
この膨大な作品を残した大バッハの活躍は、音楽界にバッハ一族の確固たる地位を築いたばかりでなく、カール・ベヒシュタインの天性の才能を開花させ、生涯にわたって最高のピアノ作りをさせることになるのです。テューリンゲンの小さな町、ゴータ。そこは十九世紀で最も優れたピアノ製作者、カール・フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ベヒシュタインの生まれた町で、後にその親友である多くの偉大な音楽家、ヴィルトーゾ(日本でいえば人間国宝級の巨匠)の間に知れわたることになります。
ベヒシュタイン家は、もともと農家であり、職人一族でもありました。しかしその多くが、音楽的な才能にあふれており、また音楽に対する情熱をもっており、当時の小学校で重要な科目であった、音楽の授業を受け持っていました。1759年生まれの曾祖父ヨハン・マテウス・ベヒシュタインは、工業技術を学んだ後、自然科学を専攻し、さらに、ヴァルターハウゼンの有名な林業の学校に進みました。薬剤師であったルーヴィヒ・ベヒシュタインは、研究熱心な人で、テューリンゲン一帯の人びとから高い賞賛を、独り占めにしていたくらいです。
その次の代、祖父のヨハン・クリストフ・ベヒシュタインは、20年間ゴータ・アルテンブルグのアウグスト王子に仕えていました。そして、その地位で宮廷音楽の発展に身を捧げていたのです。その息子は父親より音楽的才能を受け継いたのでしたが、大家族を養うためにかつら職人と床屋のもとで修業をするより他に道がありませんでした。しかし、このフリードリッヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・ベヒシュタインは、わずかな時間を見つけては当時の偉大な作曲家モーツァルトやベートーベンの曲を、古いスピネットピアノで勉強していました。1821年、この熱狂的な音楽家は、候爵のコーヒー番の娘クリスティーネ・エルネスティーネ・アウグステ・ライスリング嬢と結婚します。感受性豊かで思いやりがあったとされるこの幼妻は、まもなくセシリエとエミリエという二人の女の子を産み、1826年には末っ子カールが生まれます。

 

 

注:この書籍の記載内容は1993年発行当時までの情報を元に執筆しておりますので、現在の状況・製品仕様と異なる点も多々あります。予めご理解頂けますようお願い申し上げます。

 

次回は
《音楽的「耳」を持った少年》
をお届けします。

向井