【連載】ベヒシュタイン物語 第一楽章 創立者カール・ベヒシュタイン

5.《リストの演奏に耐え得るか?》
そのすぐ後に、リスト自身が、エラールのグランドピアノを使って、ベルリンで、リサイタルを開いています。もちろん、ベヒシュタインもこれを聴きにいきました。そして、その時のリストの演奏を見て、いまだかつて、これ程までに、鍵盤を凄まじい勢いで叩くのを見たことがなく、非常に驚いています。また、この奏法に、エラールの華奢な構造のピアノが耐えられるのか、と非常に関心を持って見ていました。リサイタルの後、もちろん、弦はぷっつりと切れているエラールの残骸を、ベヒシュタインは目の当たりにしたのです。そこで決心しました。リストの演奏に耐えられるグランドピアノを作らなければならない、と。そして、独自の方法と全く新しい技術を用いて、グランドピアノの製作を開始しました。ビューローは、でき上がったものをテストし、ある日、リストとともにベヒシュタインのもとへ再度やって来ました。この時こそ、ベヒシュタインの生涯の中で、ハイライトともいうべき時です。リストは、ベヒシュタインの楽器の真価を認め、製作者ベヒシュタインをも認めたのです。二人は親友となり、その親交は、この偉大なヴィルトーゾの死まで続くことになります。このときから、リストは、ベヒシュタインのピアノを最も愛用するようになり、住んでいたヴァイマール、アルテンブルグ、そして後に移ったホフゲアテネライには、毎年、ベヒシュタインの新しいグランドピアノが届られることとなります。
最初のピアノを製作してから3年後の1859年、ベヒシュタインはグランドピアノの製作にとりかかっています。これはすべてにおいて独特で、特出した特徴を持っており、後のグランドピアノに受け継がれていくものとなります。カール・ベヒシュタインは、自身の確かなクラフトマンシップで、世界中からさまざまなノウハウを集め、融合して実践することで成功しています。例えばアメリカで開発された交差弦方式を、ドイツでいち早く取り入れていますし、アクションには力強い音を可能にする、イギリス式の安定したものを自身のグランドピアノに組み込んでいます。もちろん、これにはフランスで開発されたレペティションシステムも採用されています。

 

続く

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ワイマール、リストハウスにあるベヒシュタインピアノとリスト

 

次回は
6.《ロンドンの博覧会出品では・・・》
をお送りします。

 

向井