【連載】ベヒシュタイン物語 第一楽章 創立者カール・ベヒシュタイン

8.《ビューローとの友情》
この有名なピアニスト、そしてベルリン・フィルの最初の偉大なる指揮者ハンス・フォン・ビューローとカール・ベヒシュタインとの友情は、ビューローの亡くなる1894年まで続きます。ビューローは19世紀の前半、テューリッヒのリヒァルト・ヴァグナー(1813-1883)のもとへ行き、その後ヴァイマールのフランツ・リストのもとでピアニストとしての研鑽を積んでいます。1855年にはベルリンのシュテルン・コンセルヴァトワールで、テオドア・クラーク(1818-1882)の後任として、ピアノのクラスを受け持ちます。1857年、ビューローはリストの娘、そして後にヴァグナーの妻となるコジマと結婚します。10年後ヴァグナーの推薦でミュンヘンへ行き、バイエルン王ルードヴィヒ二世のもとでピアニストとして、また、宮廷楽長として認められたビューローは、そこで多くの友人の仲間入りをすることとなります。1865年、ヴァグナーの「トリスタン」の初演をミュンヘンで指揮し、続いて1868年には、「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を指揮しています。ビューローとヴァグナーの友情はコジマの問題で壊れ、ビューローはフローレンスに移り、その後マイニンゲン、ハンブルグと転々としていきます。そして、1887年から、ベルリン・フィルの音楽監督となり定期公演を指揮するようになります。
音楽と文学に非常に精通していて、また、高度な教育をも受けていたビューローは、当時の音楽家に多大な影響を与えました。カール・ベヒシュタインのピアノに最初に接触しているテオドア・クラークもその一人です。クラークはその後、ベヒシュタインを世に広めるためにその生涯をかけています。この楽器の音色と素晴らしい耐久性に魅了され、このベルリンの「グランドピアノの男」の手足となり、また友情も育んでいきます。このときビューローは、まだベヒシュタインに対してそれほど協力的ではありませんでした。それは、音楽家としての素晴らしい楽器に対する好奇心ともとれるような憧れはあったものの、当時非常に流行していたヴァグナーに代表されるような、極めて国粋主義的な思想感覚のはざまに押し込まれてしまっていたから、と言うことかもしれません。

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しかしその後、1860年6月になると、カール・ベヒシュタインは俗にいわれる「ベヒシュタイン・マニア」となったハンス・フォン・ビューローからの、驚くような好意的な手紙を受け取ることとなります。
「家内を通じてお願いした、3月25日のヴィーン・フィルハーモニーでの私のリサイタルに、あなたの美しいコンサートグランドピアノの借用をお願いしましたが、これは私のわがままとか希望からではなく、『ベヒシュタイン』で弾けば『ベーゼンドルファー』や『シュトライヒャー』で弾くよりも、より素晴らしいものになるに違いないと考えたからです。あなたの工場の研究室で弾いたグランドは、他のどのドイツ製よりも、私の拙い才能を表現するために適しているということを、決して否定はいたしません。そしてこの演奏会で、ピアノメーカーが密集しているオーストリア帝国のヴィーンにおいて、私はすべてのピアノメーカーをコケにしてしまった、ということをを必ずやお気付きになると思います。言うまでもなく、すでに私は、ヴィーンでもうたくさんの敵を作ってしまっていますけれども。
何十年か前に、この地がシュトライヒャーの土俵であったように、あるいは世界的にエラールが席巻していたように、ドイツ帝国全体からあなたが評価を得る、ということに私は手を貸したいと思っているのです。私は、プロシャがピアノ製作に関して、争うものの無い、第一級であることを証明したいことに他なりません」
(筆者註 ハンス・フォン・ビューローがこのような極めて情熱的な手紙を書いた背景には、ヴィーンでベヒシュタインを使った演奏会が、大成功であったことを示しております)
ハンス・フォン・ビューローは、彼の側の協力として、この「グランドピアノに憑かれた男」をミュンヘンに連れていきます。
そこで、ヴァグナーとそのパトロンであるバイエルン王ルードヴィヒ二世に対面することになります。ルードヴィヒ二世はベヒシュタインに対して、1864年ヴァグナーの誕生日に贈るスクエアピアノの製作を依頼しました。このスクエアピアノは、バイロイトの「ヴァーンフリート・ハウス」のヴァグナーが、多くの楽劇の構想を練ったといわれる一室に絵、インクつぼ、整理棚とともに極めて長い間置かれていました。この独特な形の、一種の家具とも言えるようなスクエアピアノには、使いやすさを十分に考えられた、珍しい固定式のペダルまで備えられています。そしてひとたびふたを開けると、外観とは裏腹にまさしく高貴なるベヒシュタインのピアノです。

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つづく
次回は
9.《ヴァグナーからの手紙》
をお送りします。

向井

 

注:この内容は1993年発行のベヒシュタイン物語(ユーロピアノ代表取締役 戸塚亮一著)より抜粋しております。なお、この書籍の記載内容は約20年前 当時の情報を元に執筆しておりますので、現在の状況・製品仕様と異なる点も多々あります。予めご理解頂けますようお願い申し上げます。