【連載】ベヒシュタイン物語 第一楽章 創立者カール・ベヒシュタイン

12.《コンサートホール・ベルリン》

 

 

カール・ベヒシュタインと多くの音楽家との間の、決して下心のない幅広い友情関係の発展は、事実、ベヒシュタイン社の経営に相当な有利さとなっていました。そして、ベヒシュタインの人間的な暖かさとヴァイタリティーは、過酷な経営下でも商売と友好が調和し、音楽、文学、哲学に理解があるブルジョアジーに受け入れられたということは、実に驚くべきことでありましょう。例えば、ベルリンにコンサート事務所をもっていたヘルマン・ヴォルフと心から理解しあえたということが、友情の最後の記録として残っています。二人は「偉大な音楽家の将来を切り開く」ことを合言葉としていました。そのほかにも、『ヴェックベライター・グローサー・ムジカー(偉大な音楽家の草分け)』というシュターガート・ヴォルフ出版からだされた回想録の中で、ヘルマン・ヴォルフは、ベヒシュタインの楽器に敬意を表してその名前を冠した室内楽ホールを建てた、と記しています。このベヒシュタイン・コンサートホールは、「ポツダム広場」の近く「リンクス通り」に、1892年に建設されたもので、ヴィルヘルム皇帝記念教会の設計を担当したシュヴェヒテン氏の手になるもので、その落成式には、次のような記録が残されています。
「1892年10月のベヒシュタイン・コンサートホールの落成式は、芸術的にも社会的にも、非常に重要なイヴェントであった。三つの記念コンサートが催され、著名な人々が招待された。有名な物理学者、自然科学界に重要なポジションをもつ、ヘルムホルツも出席している。トップクラスの音楽家、アントン・ルビンシュタイン、ハンス・フォン・ビューロー、ヨハネス・ブラームス、ヨアヒム弦楽四重奏団の演奏が、このホールで行われた」
前述のヴォルフ氏の娘、シュタガート女史の著になる本には、二人の友情は「ベヒシュタイン通商顧問官」の誕生と同時に特に深まったとしています。
「老通商顧問官カール・ベヒシュタイン氏は、多くの音楽家を顧客にもち、その人達をとても大切にする、その名を知られるピアノ製作会社を創立しています。夏の間、多くの音楽家が、ベルリンの近く、“エークナー”というところの彼の別荘を気楽に訪れて、素晴らしい庭や、少し足をのばして近くの湖まで散歩したり、優しく気さくな白髪の家主と世間話などしています。私の両親と、この自然なユーモアのセンスに満ちあふれたカール・ベヒシュタイン氏との、偽りのない親交は、生涯続きました。彼は、いつも突然にやってきては、ベヒシュタイン社の抱えている問題を、両親を信じきってよく相談していました。1892年、父に、会社で発行する新しいカタログの序文を書いてくれるように手紙で頼んでいます。それには、『パリに三日間行くとお聞きしましたもので、お手間をとらせて申し訳ありません。鼻につくような自慢と思われるかもしれませんが、私の新しい工場は、非常に大きく、効率よくできており、また、私のグランドピアノは、ほとんどすべてのアーティストに、コンサートで弾かれ、今では、シベリアやオーストラリアにまでいっている、ということを、つけ加えておいていただきたいのです』と記されてありました」
事実カール・ベヒシュタインは、ひとりの企業家とビジネスの成功をもたらしたのでありました。

第一楽章 完

間奏曲①
28年間、私はベヒシュタインを弾いているが、その優位さは、ずっとかわらない。
フランツ・フォン・リスト(ピアニスト・作曲家 1811~1886)

ピアニストにとってのベヒシュタインは、言うなれば、ヴァイオリンニストにとっての、ストラディヴァリウスやアマティである。
ハンス・フォン・ビューロー(ピアニスト・指揮者 1830~1894)

あなたの楽器は、あらゆる面において、私の意志と調和している。私のパフォーマンスやテクニックのスタイルにおいての限りない要求に、ベヒシュタインは、比類のない喜びと賞讃という、確かな成功をもって答えてくれる。
フェルッチョ・ブゾーニ(作曲家・ピアニスト 1866~1924)

長い間、感じ、思っていたことを、遂に表現できて、私はとても感激している。私のタッチ、私の成功、私の演奏方法すべては、このすばらしいグランドピアノから生まれ、影響を受けた。もし、このピアノがなかったら、今のような演奏はできなかったであろう。これは、決して誇張ではなく、むしろ私の確たる信念である。芸術を完成させられるのは、ほかの何でもない。唯一ベヒシュタインだけで、もう他のピアノは弾きたくない。
オイゲン・ダルベール(作曲家 1864~1932)

すべての楽器の中で一番優れているのがベヒシュタインで、それは、フォルテからピアノまで、満ちたりた高貴な音のみならず、秀れた独特なアクションをもっているからである。
カール・タウズィッヒ(ピアニスト 1841~1871)

尊敬と愛着を
ヨハネス・ブラームス (作曲家 1833~1897)

気品ある、無尽蔵にあふれてきて、あたたかな音とともに、精巧なアクションをもち、最高の色彩の変化を可能にする、C・ベヒシュタインは、完璧な、芸術といえるほどの楽器製作の限りない成果であろう。
アントン・ルビンシュタイン (作曲家・指揮者・ピアニスト 1829~1894)

ピアノのために編曲した歌劇「王子と王女」を献呈させて欲しい。この曲は「ベヒシュタイン」を弾いている時に、その大いなる広がりからインスピレーションが湧いてきたもので、それはとりもなおさずあなたの驚くべき楽器への感謝にほかならない。
エンゲルベルト・フンパーディンク(作曲家 1854~1921)

芸術的なピアノ製作技術によるあなたの楽器に、私はこれ程までに熱狂してしまっている。
エドヴァード・グリーグ(作曲家 1843~1907)


今回で第一楽章 創立者カール・ベヒシュタインは終了となります。

次回からは、第二楽章 ベヒシュタイン社クロニクル
をお送りします。

向井

 

 

注:この内容は1993年発行のベヒシュタイン物語(ユーロピアノ代表取締役 戸塚亮一著)より抜粋しております。なお、この書籍 の記載内容は約20年前 当時の情報を元に執筆しておりますので、現在の状況・製品仕様と異なる点も多々あります。予めご理解頂けますようお願い申し上げます。