青柳いづみこさんの「どこまでがドビュッシー?」出版記念のレクチャーコンサートが本日汐留ベヒシュタイン・サロンで行われました。
ドビュッシーとベヒシュタインの相性は抜群で非常に良い催しと思いました。ただ、ゲスト出演を予定していた高橋悠治さんが急病で参加取りやめになったのは残念でした。
ドビュッシーは、アラベスクやベルガマスク組曲をレッスンで弾いたことがあり、ドイツ音楽にはない不思議な響きに興味を覚えたのを思い出します。「二度目は同じ音型を使わない」と自分はレッスンで聞きましたが、同じ旋律でも必ず何か新しい響きを入れてくるので、弾いていても耳が刺激されます。
西洋の作曲家の曲を東洋人が弾くのはどうか?ということを言われたりもしますが、ドビュッシーの場合、その響きはアジアの音階を使ったりと東洋人にもよりなじみがあるような気がします。
作曲家自身の演奏は、現代音楽の場合は入手しやすいですが、100年以上前となるとなかなか録音状態なども悪く、普段聴くにはちょっと厳しいものがあります。ドビュッシーのピアノロールがあり、いくつかの曲が聴けるということですが、楽譜通りではない箇所も。
作曲家の演奏が必ずしも正解ではないと思いますが、それはどういう状態であれ実際に聴けるから判断できるのであって、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンのようにどう弾いたのかわからない場合は、ぜひ聴いてみたいと思います。
演奏家の出現は近現代と思われますが、作曲家と聴き手の橋渡し(よりよく理解できるための)の役目だと自分は思っています。よりよく理解するためにはいろいろな演奏を聴いて、自分なりの聴き方、考え方を確立していく必要があります。
ピアノという楽器も曲と聴き手の間をとりもつ重要なポジションにあります。演奏家が自分の意志や考えを、スムーズに表現できるような状態につねにできるようにするのが技術者の理想であり、目指すべきところかと思います。レクチャーコンサートにちなんでいろいろと考えました。