1888年4月12日、ゲンリヒ・ネイガウスが生まれました。ほとんど独学とのことですが、音楽家一家に生まれています。そしてそうそうたる弟子のメンバーに驚きます。
以前の関西ショールームブログに書いていたことを再掲します。
『昨年、あるすごい技術者の研修を受けた際に、ペダルの話の流れから「ノイハウスの著書にもペダルについての表記がいくつかあるよ」と聞きました。ドイツ語ではNeuhausとつづり、そのまま読むとノイハウスですが、キリル文字でつづるとネイガウスと読むらしい。一瞬誰のことかわからなかったが、ネイガウスのことだなとひらめきました(HとGの発音はよく入れ替わるので)。ピアニストの著書まで目を通しているのはさすがだなぁと思うと同時に自分も読んでみたいと思いました。
その「ノイハウスの著書」かどうかは不明ですが、ネイガウスの「ピアノ講義」を本屋で見つけたので購入して読んでいます。ネイガウスはロシアピアニズムのある意味頂点を作った人で、リヒテルやギレリス、ウェデルニコフ、ルプーなどの先生で、さらにはスタニスラフ・ブーニンの祖父でもある。
金言集という章があり、色々な場面で話された短い言葉が載っていた。ペダルについてもいくつかあり、リストの曲でのペダルの踏み方、「正しいペダルの表記はない、自分の聴覚で踏むのである」など、とにかく読んでいるという状態。何度も繰り返し読むと少しずつ何かわかるのかもしれませんが、弟子による回想の部分も多いので、ピアノ技術に役立つところには線を引いておきます。
なぜ理解がしづらいかというと、多分この時代の先生、ピアニストというのは、ピアノ音楽はもちろんですが、それ以外の芸術にも非常に造詣が深く、また深いのが当たり前だったのではないか?ということがあります。
さらには与えられる情報より、自身で考えたり経験したことによって得る情報の方が多かったからではないか? (現代は与えられる情報の方が多く、それを選んでいかないといけない状態) だから話す内容も多岐にわたり、ピアノの技術だけではさっぱり何を言わんとしているのかわからないというようなことになる。
もちろん現代でもそれに値するくらいの知の巨人はたくさんいると思いますが、作曲家や、文学者、芸術家と同時代を生きていたという点ではちょっと弱いと思います。逆にその時代はこうだったのか?などと違う意味での想像力(文書や証拠に基づく)には長けているのでは?と思います。
何度も読み直し、今後のピアノ技術に生かすことができればいいのですが。』
また読み直してみようと思いました。