【連載】ベヒシュタイン物語 第二楽章 ベヒシュタイン社クロニクル

19.《創業125周年記念》

 

1978年10月1日、ベヒシュタイン社はその成功から125年を飾りました、古くからの友人、ピアニスト、業界の友人がベルリン「フィルハーモニー」での記念式典に招待されています。ステージの上には、2台の新しいコンサートグランドがすえられ、シューラ・チェルカッシー(1911~)、コンタルスキー兄弟(アロイス、1931~ アルフォンス、1932~)、クリスティアン・ツァハリス(1959~)の演奏が、超満員のホールで行われました。

これはベヒシュタイン社の歴史の中で、ひとつのハイライトでもありました。「通常の」アップライトやグランドの製作だけでなく、特別の豪華なデザインが訪れた人を魅了しましたが、そういった特徴とは別に、人々の心を捉えたのは、あくまでも確固たるクラフトマンシップが生み出したベヒシュタインの音でした。

1984年、アメリカ、ケンタッキー州初の女性知事のために、ファースト・レディの穏やかでエレガントで女性らしさを表現した一台のグランドピアノが製作されました。固い線を取り払い、ケンタッキー産の木材を化粧板にし、州のエンブレムが響板と鉄骨に入れられ、ベヒシュタインのユニークで代表的な楽器として完成しました。もちろん、ひとたび奏でると、オリジナルな、ふくよかな音が聴こえてきました。

ベヒシュタインは、北アメリカ大陸でかなり知名度の高い楽器となっています。それは、伝統的なドイツのクラフトマンシップで、世紀がかわっても、その楽器作りの姿勢が変わらず、多くのピアニストの耳を、その表現力と透明さのある、比類ない音で魅了してきたからです。

ヨーロッパからアメリカへのベヒシュタインの最初の旅は、ツェッペリン(飛行船)でしたが、現在はベルリンからパン・アメリカン航空で輸送されています。

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アメリカ、ケンタッキー州初の女性知事のために製作された“ケンタッキーグランド”
20.《現代のルネッサンス》

1962年以来、北アメリカ、ボールドウィン社によって経営されてきたベヒシュタイン社は、1986年5月、再びドイツ人の手に戻りました。新しい経営者はその名を知られたピアノ・マイスターで、創立者カール・ベヒシュタインのように、革新的なイニシアティブのノウハウを持っており、創業時の足跡をしっかりとたどっていきました。

この伝統を守る経営者カール・シュルツェは、未来に要求されるサウンドと確たる技術をベースにすえて、財政面での優れた手腕を持つボード・シルマー、設計からサービスの分野に非常に明るいピアノ・マイスターのローター・トーマ、ピアノ製作が専門であり経営上あらゆる技術的な手腕を必要とする工場長に、ゲアハルト・シュヴィヒテンベルグをおき、この3人の協力者とともに新生ベヒシュタイン社をスタートさせました。(その後、シルマー氏とシュヴィヒテンベルグ氏の二人は離れました)

「伝統を守り、新たなことに門戸を開く」という、この経営陣の思想は、多くの面にその手を広めていきました。彼らは、カール・ベヒシュタインが楽器を作るときに考えた、理想的なタッチと音の質の基本はあくまで確固たる職人気質にある、ということを念頭に様々なことを追求していきました。その基本的な考えは、楽器を弾くときに、まず大切なことは練習であるという事ではなく、奏法にいかにして楽器が参加できるか、ということにあります。それはとりもなおさず音楽家、とりわけピアニストとの密接な関係が、必要であるということになります。

この観点からベヒシュタインを作り出していくために、まず外観の面から着手しました。お金持ちをも十分に満足させ、ダイナミックで、伝統の透明感のあるエレガントな音を犠牲にせずに作らなくてはなりませんでした。アクションについての新しいコンセプトは、すでにステージの上に立っていて、さらなるタッチの発展に期待が注がれていました。軽くとても敏感なアクションは、学生からプロまでの要求に見事にこたえました。

それとともに重要だったのが、レベルの高い調律から、古い楽器のオリジナルな状態への完全な復元といった、ベヒシュタインの顧客へのサービスでした。

当時、文化の中心だったベルリンのように、他の都市でも修行中の芸術家や貧乏芸術家は家を探しているありさまでした。クラシックよりはジャズを好んでいたこれらの人々がベルリンに集うごとに、ベヒシュタイン社はコンサートグランドを出しています。またクリストフ・エッシェンバッハ(1940~)、アンドレ・ワッツ(1948~)、ニキタ・マガロフ(1912~)、ルードヴィッヒ・ホフマン(1925~)、パウル・バドゥラ=スコダ(1927~)、アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ(1920~)、レナード・バーンシュタイン(1918~1990)、ホルヘ・ボレ(1914~1990)、シプリアン・カツァリス(1951~)、そして多くのピアニストがベヒシュタインに熱狂しました。一方ジャズ界でも、毎年行われているベルリン・ジャズ・フェスティバルをはじめとして、多くの催しがベヒシュタインによって、そのインスピレーションを沸き立たせています。

その中の一人、テクニックでリーダー的存在のフリー・ジャズピアニストのセシル・テイラーは、フィルハーモニーホールで、1時間以上にわたり嵐のような、それでいてきらめきをもった演奏を聴かせています。ベヒシュタインはこの暴走ともいえる演奏に、水をさすようなことはありませんでした。別の日の別の時間にはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)、フレデリック・フランソワ・ショパン(1810~1849)やヨハネス・ブラームス(1833~1897)の音楽がスペシャリストの手によって演奏され、ピアニストの表現があますことなく発揮されています。楽器はたった1人の音楽家の演奏会のためだけにあるのではありません。音楽家とその楽器とのあいだには、いうに言われぬ共存状態があり、ピアニストとグランドピアノのあいだには、迷信的な何か表現できないものがあって、両者が見事に信頼しあっていなければならないのです。ピアノがこの世に誕生してから、もうずいぶんになりますが、演奏家と作曲家のギヴ・アンド・テイクは、ピアノ製作における一方の手であり、もう一方の手でもありました。この精神は創業者カール・ベヒシュタインのものですが、今でもベヒシュタイン社は、この伝統をずっと守り続けているのです。

なお、ベヒシュタイン社は、1991年にはフォイリッヒ、ホフマン、オイタルペを、また1992年3月には旧東独のツィンマーマンを、それぞれブランド、工場ともに買い取りました。そして、ベヒシュタイン・グループとして、2度の世界大戦による破壊と東西の冷戦で失われた、かつての栄光の復活をめざしております。

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左から、ゲアハルト・シュヴィヒテンベルグ氏、ローター・トーマ氏、ボード・シルマー氏、現社長カール・シュルツェ氏

 

第2楽章は以上となります。

 

 次は第3楽章「ベヒシュタインはこうしてつくられる」となりますが、次回はその前に間奏曲②をお届けいたします。

向井

 

注:この内容は1993年発行のベヒシュタイン物語(ユーロピアノ代表取締役 戸塚亮一著)より抜粋しております。なお、この書籍の記載内容は約20年前当時の情報を元に執筆しておりますので、現在の状況・製品仕様と異なる点も多々あります。予めご理解頂けますようお願い申し上げます。