刊行物

ベヒシュタインから見える風景 Nr.1

公演名:ベヒシュタイン・ジャパン ドビュッシー没後100年フィナーレ企画
『ドビュッシー ピアノ曲の秘密』
~ピアノ1台でオーケストラのような効果を出すには~
出演者:青柳いづみこ(Pf)、加藤正人(対談)
日時:2019年2月8日(金)
会場:汐留ベヒシュタイン・サロン

今回は、ドビュッシー没後100周年のフィナーレ企画として、ピアニストで文筆家の青柳いづみこさんをお迎えしてのレクチャーコンサートでした。プログラムはオール・ドビュッシー。
前半は冒頭に〈夢〉を演奏された後、ピアノ制作マイスターで弊社社長の加藤とベヒシュタインやドビュッシーにまつわる対談が行われました。青柳さんが2018年に発売されたドビュッシーのCDでは、1925年製のベヒシュタインE型が使用されており、その録音に至る経緯を語って下さいました。CDの目玉である《聖セバスチャンの殉教》は、原曲がオーケストラの曲なので、その立体感や神秘的で摩訶不思議な雰囲気を出すのにこのE型がぴったりだったということです。これらについての詳しい内容は、『ドビュッシー ピアノ曲の秘密』(青柳いづみこ監修、音楽之友社2018年11月発売)の対談ページに掲載されています。
ここで、ベヒシュタインと他社のピアノの構造の違いについて、ピアノ製作マイスターの加藤より映像を使っての説明がありました。時代が変わっても現在まで継承されているベヒシュタインの特徴として、低音域、中音域、高音域と各レジスターの音色の違いを弾き分けることができるということ。戦前のものはよりそれが強く反映されているが、現在のモデルにもその特徴は踏襲されているということです。ベヒシュタインのカタログなどで「オーケストラのような立体的で多彩な音色作りができる」という謳い文句を目にしますが、その言葉の意味がよく分かりました。さらに際立った特徴として、高音域にいくほど高い倍音が共鳴するようにズレ幅が大きく設計されており、高音でゆらぎが出るように工夫されている、という説明がありました。つまり、それによって生じるうなりが一音一音独特の味わいを生んでいる、ということです。青柳さんがベヒシュタインで特に気に入っているところは、ドビュッシーを弾く際、「ペダルを踏んだままでも音が濁らずクリアに聞こえるところ」だそうです!
後半は、青柳さんの演奏と解説でドビュッシーのいくつかの作品をもとに、各場面でどのような音が求められているのか、また理想的な音を出す為にはどのように弾いたら良いか、またどのようにアプローチしたら良いか、という実践的なレクチャーが展開されました。主に取り上げられた曲は下記の通りです。

♪〈スケッチブックから〉
♪《ベルガマスク組曲》より〈月の光〉
♪《映像第2集》より 第1曲〈葉ずえを渡る鐘の音〉
♪《聖セバスチャンの殉教》ピアノソロ版(カプレ編曲)より〈百合の園〉、〈法悦の踊り〉
♪《前奏曲集第1巻》より〈亜麻色の髪の乙女〉、〈沈める寺〉、〈ミンストレル〉
ほか

レクチャーの中では青柳さんの演奏法の解釈を裏付けるものとして、ドビュッシー自身が語った言葉がいくつか紹介されました。〈月の光〉の冒頭(譜例1)では、一般的には最上声部を強く出そうとする人が多いけれども、この場合そうではなく、すべての音が溶け合った響きとして聞こえるようにあえて上の音を強調しすぎないほうが良い、ということでした。このことはドビュッシー本人の「名ピアニストの(右手の)小指は不要だ。」という言葉にも裏付けられています。彼は「自分の音楽は全て旋律だ」とも語っており、ドビュッシーの和音は自然倍音列だけから拾われているので、すべての和音がきれいにハモるのです、と青柳さんは仰いました。ある時、ドビュッシーが「君の(作曲の)ものさしは?」と尋ねられると、「耳の喜びです。」と答えたそうです。ドビュッシーは偏屈でとてもこだわりのある人物だったと言われていますが、彼の残した言葉は多くが記録に残されており、そのおかげでこうして現在でもドビュッシーのピアニズムを知る上でたくさんのヒントを得ることができるのは幸いだなと思いました。

譜例1.《ベルガマスク組曲》より〈月の光〉 冒頭部分

次に、三段譜での各旋律線のレベルの弾き分けについて、《映像第2集》より、第1曲〈葉ずえを渡る鐘の音〉(譜例2)を例に、楔形(三角)アクセントとテヌートの弾き分け方について言及されました。三角(楔形)アクセントは、指を固めて重さはかけずに打鍵のスピードを速く、テヌートはゆっくりと打鍵、また3小節目に登場する最上部の旋律は、輝きを出すために、やはりこれも固い指で重さはかけずに弾きます、とのこと。

譜例2.《映像第2集》より第1曲〈葉ずえを渡る鐘の音〉

続いて、1889年のパリ万博で展示されたプレイエルのモダンチェンバロに影響を受けたドビュッシーが、自身のピアノ曲にクラヴサン音楽の技法を自身のピアノ曲に取り入れた例がいくつか紹介されました。例えば、《前奏曲集第1巻》より〈ミンストレル〉(譜例3)では、装飾音はチェンバロのイメージで前に出さず拍頭で合わせ、また両手の激しく交差するところでは指の関節の支えとバネが必要、と弾き方のコツを実演して下さいました。

譜例3. 《前奏曲集第1巻》より〈ミンストレル〉

青柳さんが学生の頃のピアノ界は、大きい音でより速く弾くことが競われていた時代で、ドビュッシーなどは指の弱い人が弾くもの、と言う人も多かったそうです。もちろんそれは間違った認識で、ドビュッシーはショパンの弟子であるモーテ夫人の弟子でもあり、ショパンのピアニズムを受け継いでおり、むしろ指の強靭さが必要だと仰いました。他にも、ベヒシュタインとも絡めつつ、ドビュッシーのピアノ曲を弾く上でのコツを惜しみなくお話し下さり、フィナーレ企画に相応しい盛りだくさんな内容で、大変有意義な時間でした。
(前田)

ベヒシュタインから見える風景 Nr.2

弊社ベヒシュタイン・ジャパンの正規代理店 たかまつ楽器さん(高松市)では数年前から「青い鳥マスタークラス」が開講されています。このマスタークラスでは石本育子先生による授業と、定期的に特任講師内藤晃先生のレッスン・授業が行われています。このレッスンと授業の相乗効果を、受講生の子供達の魅力的な演奏を聴くことで確信することができました。旋律の抑揚からイメージできる人の会話や、その響きが造る感情の機微は、ピアノの技巧的な部分にフォーカスされた演奏からは決して感じられないものです。

その演奏を支えるのはピアノです。多くのピアノ楽曲が作られた時代のピアノの重要な特徴をどこかに置いてきてしまったピアノしか知らない状態で、果たしてその音楽を通して作者が放出したかった感情は理解され表現できるか?と考えると疑問が残ります。ベヒシュタインをはじめとするヨーロッパの一流と呼ばれるピアノは、ピアノ演奏芸術が開花した19世紀のピアノ製造が求めた楽器としてのピアノの本質を、常にその時代の要求に適合させながら継承しています。何が良いのか、何故良いのかは、求めるものがなければ理解できないものです。その、求める表現の可能性を引き出す授業とレッスンがこのマスタークラスでは行われ、その教育方針にふさわしいピアノとしてベヒシュタインが使用されています。(加藤 正人)

ピアノ教育の現場から—

ベヒシュタインピアノの特性を活かしながら音楽をより深く理解するピアノ教育を実践している内藤晃先生と石本育子先生のお二人に、誌上特別レッスンとして今号より連載いただきます。音楽表現の可能性をいかに引き出していくのか、ぜひご注目ください。

 

ピアニスト、ピアノ講師、ピアノマイスターそれぞれの視点から語る、ベヒシュタインのピアノ
隅々までを意識して弾くということ。

内藤 晃(ピアニスト)
石本 育子(たかまつ楽器ピアノ講師)
加藤 正人(ベヒシュタイン・ジャパン代表)

内藤:実は、ベヒシュタインって、弾き手の意識が行き届いていない部分をあぶり出しちゃう、こわいピアノなんですよ!

石本:そういう場面、レッスンでいつも見ています。本人が気づかない音楽的理解の度合い等全てお見通しな楽器。それをレッスン内で指摘すると、びっくりされ、そして急激に変わってくれます。例えば、弾き手がメロディライン等『出したい音』として拘って打鍵した音達が、実は頑張り過ぎると耳にうるさい音として聴こえてくるんです。メロディラインって何でもかんでも出せばいいものではないのはある程度やってる人ならわかってくるけれど、ちょっと大きすぎるとかちょっと解放が遅いとか、を許してくれない楽器。それを最初は指導者が示唆するのですが、いつもベヒシュタインを弾いていると弾き手自身が気づくようになる。

内藤:アンバランスだったり抑揚がおかしかったりするのが、そのまんま音として出てきますよね。ピアノが助けてくれないんです。でも、隅々まで意識を行き届かせて弾くと、どこまでも微細なニュアンスで応えてくれる。アラが目立つというのは、実はすごく反応がいいということなんですよね。

加藤:そうですね。お感じになっているようにベヒシュタインはハンマーが打弦した瞬間の音の立ち上がりが早いです。これは、響きを拡張する音響部位全体の構造の特徴にあります。また、整音という音を整える作業がありますが、小さな音での音色の変化も明確に出るポイントを探りながら行います。声のように多彩な抑揚をつけたいわけです。これはベヒシュタインの独特な倍音構成があるからこそなせる技でしょう。

内藤:このような反応のいい楽器だと、出したい音色を探ってるうちに子どもたちの音へのアンテナが研ぎ澄まされていきますね。

石本:隅々までの意識、まさに最近の指導で核にしているところです。脳をフル回転させないとできないことでもありますが。だから、見学してるお母様がきょとんとされることがあって(笑)生徒がたった一回弾くと疲れてヘロヘロになって私が「『よく頑張ったね、ブラボー』この曲終わり」みたいな。

内藤:そう、脳を使うんです!フレーズを歌うとき、その行き先を見据えて歌い出さないと自然な抑揚がつくれない。和声に沿って音色をふっと翳らせたいとき、1-2拍前あたりからその行き先が意識できていないと、間に合わない。手がいま弾いているところと、脳が感じているところは、時差が必要なんです!

石本:時差、すごく重要だと思いますね。その時差の長さ?も次にどんな音楽があるかで変わってきますし、次の音楽をどう理解しているか、もその時差の取り方でわかってしまう。指導者にとってもわかりやすい有難い楽器です。

内藤:無神経な弾き方をしてしまってもある程度いい音で返ってきちゃう楽器があるなかで、ベヒシュタインは、脳からの指令が間に合ってないときと間に合ったときで、音色が如実に変わりますね。

加藤:先に説明した音の立ち上がりの速さと、もう一つ、響きに透明感があることも音色の変化を大きく感じる要素の一つでしょう。響きに透明感を出し、音域による響きの違いを作りやすくする独特な響板構造がベヒシュタインの特徴です。この構造部分をベヒシュタインでは、グランドピアノではメインリブ、アップライトピアノではレゾネーターと呼んでいます。これは、響板内の振動伝搬を区切る独特な響板工法で、他に例を見ない響きの体験を実現します。ダンパーのハーフペダルなどで音を持続させても全体的に響がすっきりしていて全体の響きが濁りにくいことと、演奏の方法により、音域別に響きの感じを変えやすくなります。この響きの音域感は18 世紀〜19世紀当時のピアノが持つ特徴でもありました。ピアニストは全体の響きの中に旋律的な流れと和声的なバランス双方を意識しながら音楽を進めていくと思いますが、音の置き方をベヒシュタインははっきり見せてくれるはずです。

内藤:音の置き方、おもしろい表現ですね。確かに、ベヒシュタインは、響きの奥行きのなかでどのあたりか、音の位相・遠近感がわかりやすいです。ところで、石本先生が実践されてる、脳からの指令に必要な時差を子どもに体得してもらうためのアプローチについて教えていただけますか。

石本:実は少し変わったソルフェージュ指導をしています。リズム課題で1小節のまとまりを幼児期から吸収すること、前の小節の最終拍で次の小節全体を思い描くこととそれを叩くことの準備ができる脳を育てます。いつ指令を出すか、もとても重要ですが、次の音楽をイメージできる力も同時に育てたいなと思っています。

内藤:そうですね!とりわけ大事だと思うのは、鍵盤上で音にしなくても楽譜を音楽として脳内再生できる能力、そして、音楽の全体像を描く能力です

石本:はい。そういう意味で、マスタークラス授業でも構造の理解は重要度高いです。『森も木も』見えるように、です。

内藤先生、石本先生がお感じになっているベヒシュタインピアノの特性を活かしながら、実際どのように子どもたちに音楽を理解させていらっしゃるのか、誌上レッスンと動画をリンクして公開いたします。

石本育子先生 特別誌上レッスン①

石本育子先生レッスン動画

耳で記憶する。

石本:さて今日はある曲を聴いてもらってそれがどんな曲なのか?聴いて覚えて弾いてもらうことにします。

Yちゃん:え~!

石本:大丈夫、簡単だよ。

~ 演奏(ツェルニー100番練習曲~13番終盤)~

Yちゃん:え~!わからん!

石本:ただ聴いてるだけではつかめないよ。何を聴くか!?が大事。1つヒントね。3/8拍子です。じゃあそれを元に『何小節でできているか?』『どんな形でできているか?』を考えよう。それがわかれば覚えやすいよ。

~ 演奏 ~

さてどんなことがわかったかな?何小節?何調かな?

Yちゃん:24小節!ドで終わるから・・・ハ長調やと思う!

石本:さあ、もう弾けるかな?できるだけ少なく弾いて聴けるのがいいよ。どうしたら少ない回数で全部わかるか、考えよう!

~ 演奏 ~

さてじゃあどんな形式になっているのかな?音楽の形が『ぶんぶんぶん』か『メリーさんの羊』か、はたまた『春が来た』か?どれだろう?」

Yちゃん:え~と『ぶんぶんぶん』みたい!でもはじめと終わりは少し違う!

石本:そうだね、何が違って何は同じなんだろう?そこ聴いてみよう。

~ 演奏2回 ~

Yちゃん:え~と、メロディの音が多くなって・・・多分・・・左手は同じ?

石本:よく聴けました!メロディの音が多くなっても聴けたかな?

Yちゃん:うん!あ、ちょっとわかったかも!?なんか~同じようなこと言ってるから歌いやすい気がする。

石本:じゃあ、意外に覚えやすかった?音のかたち、『音形』が同じなんだね。

Yちゃん: ~ 演奏 ~

石本:よかったよ!

Yちゃん:でも~なんかちょっと・・・左手が・・・違ってないように聞こえたんだけど、使ってる音同じなんだけど~なんかちょっと違う。気になるなあ。

石本:じゃあ、そこは次のレッスンで解説しよう!

(続く)

内藤晃先生 特別誌上レッスン①

内藤晃先生レッスン動画

楽節構造ってなぁに?

内藤:Kくんは“文節”ってことば知ってる?

Kくん:国語で習いました!文章を“ネ”で分けるやつですね。

内藤:そう!意味のまとまりで区切った単位のこと。たとえば『ぼくは夕食後にピアノを練習します』って文だったら、『ぼくは/夕食後に/ピアノを/練習します』ってなる。僕らは日本人だからふだん文節なんか意識しないけど、英語の文を読むときなんかは、少し長い文になると、文節みたいな意味のまとまりごとにスラッシュ引いてくと読みやすくなるよね。

Kくん:カッコでくくりましょうとか、スラッシュ引きましょうとか、先生に言われます!

内藤:実は、音楽にも、文節みたいな意味のまとまりがあるんだ。楽節っていうんだけど。

Kくん:ガクセツ?

内藤:そう。それが曲のなかでどうなっているかを、楽節構造っていうんだ。だいたい4小節ずつ規則的に進行して、その小さなフレーズが8小節で大きなフレーズを形づくるんだけど、そうなっていない曲もあって。さっきのベートーヴェンの展開部は、6小節になったり、3小節になったりして不規則で、迷子になりやすいから気をつけて!英語の文も、区切りを間違うと、意味が伝わらなくなっちゃうよね。

Kくん:ほんとだ!4小節ずつの進行じゃないと、なんか半端な感じがします

内藤:そうそう!その“半端な感じ”大事にして!たとえば本来8小節でキリがいいはずのところが10小節かかってるとじらされるし、6小節で次行っちゃうとフライングっぽいよね。それって作曲家が狙ってることだから、まとまりはまとまりとして読んであげる感覚で弾くと、不整脈っぽい感じが出て面白くなるよ!

Kくん:…むずかしいですね!どうしても今弾いてるところに夢中になっちゃいます。

内藤:みんなそうなんだよね…。あらかじめ全体像を思い描いて、今のフレーズがどこまで行くか、その行き先まで見てみよう!そして、脳の中では、今弾いてるとこよりも一歩先を感じながら身体をリードしていけるといいよね。

(続く)

ベヒシュタイン・ジャパンで過去に開催したイベントからピックアップしてご紹介
EVENT REPORT③
ドイツ・マンハイム国立音楽芸術大学総長
ルドルフ・マイスター教授公開レッスン
講師:ルドルフ・マイスター
日時:2018年8/23(木)、8/24(金)
会場:赤坂ベヒシュタイン・サロン

ベヒシュタイン・ジャパン協賛のルドルフ・マイスター教授による小出郷ピアノ音楽合宿は20年以上の歴史を持ち、毎年8月に新潟県魚沼市小出郷文化会館で開催されています。この合宿と並んで夏の恒例行事となっているルドルフ・マイスター教授の公開レッスンが東京で開催され、今回はその様子を一部お伝えします。
まず、シューベルトの幻想曲ハ長調D760《さすらい人》。マイスター先生によれば、曲目のタイトルの「さすらい人」とはあてもなくさまよう人という意味もありますが、ここでは中世ヨーロッパにおいて若人が将来の仕事のために自分探しの旅をし、親方のもとへ修行しにいく、という様子を表現しているそうです。それを踏まえて冒頭の力強いテーマ【譜例1】をマイスター先生が弾き出すと、ファンファーレのようにピアノ全体が豊かに鳴り出し、今まさにさすらいの旅へ出かける若者を表すかのようにエネルギッシュで溌剌としたものになりました。また、転調していく様子は、次はどこへ向かうのか、はらはらしていたり、ホッとしたりなど、さすらい人の心情や旅の様子の描写だそうで、まさに旅の場面が目の前に浮かんでくるような演奏でした。

【譜例1】シューベルト:〈さすらい人幻想曲〉D760 冒頭

受講生の演奏もそれに触発されてか、ただff、アクセント、など演奏するだけでなく、音がだんだんと開放され表現が豊かになっていく様子がとても印象的でした。長大な曲ですが、マイスター先生は冒頭のテーマの部分について特にこだわりを持って繰り返し手本を示されたり曲の背景などについてお話しされたりしているうちに一時間があっという間に経ちました。

次に、バッハの平均律二巻第1番【譜例2】のレッスン。一通り演奏が終わった後、「曲のダイナミクス(強弱)については、楽譜には何も書かれていないけど、あなたはどう考えていますか。」とマイスター先生は受講生に問いかけられ、答えに少し困った様子の受講生に「当時の楽器(チェンバロやオルガン)の音で演奏しているように模して弾くべきだという人もいるけれど、私はそうは思いません。現代のピアノで弾くなら全く別のものとして今のピアノの特性を生かした表現をすれば良いですよ。」と仰り、一例を弾い下さいました。決して全てを同じ次元で弾くのではなく、様々な楽器でのpやfを想起させるようにコントラストをつけ、四声体の各声部が異なる音色でくっきりと浮かび上がって、複雑に入り組んだバッハの曲が立体的で生き生きとしていました。この時ふと、混じりけが少なく音域ごとに音色が異なるという特徴をもったベヒシュタインのピアノでバッハを弾くことの大きな意義を感じました。「自分が弾いたのはあくまでも一例であり、同じようにあなたが弾かなければいけないということは全くありません。あらゆる瞬間の響きを感じて自由に表現して良いのです。」とあくまでも奏者の意志であるということを強調されました。

【譜例2】バッハ:平均律第2巻 第1番 プレリュード 冒頭

最後に、ラフマニノフの練習曲Op.39-1【譜例3】では「多くの人が左手を強調しすぎるけれど、これはヴィルトゥオジティーを見せる曲だから、大変だけれども右手の動きを単なるハーモニーとしてぼかして弾かずに、うねりをしっかりと表現しましょう。そうしないとラフマニノフらしさが出てきません。同時に左手の声部は、レガ―トでチェロのような音色で表現しましょう。右と左が同じ音色にならないように!」と指導され、受講生の演奏もより立体的になっていきました。

【譜例3】ラフマニノフ:絵画的練習曲 作品39-1 冒頭

作品ごとに、各時代の様式を踏まえ、現代のピアノ、更に言えばベヒシュタインのピアノで表現できる可能性がとても生かされたレッスンで、非常に熱のこもった時間でした。冒頭で触れたマイスター教授による小出郷音楽合宿は、2020年はコロナウイルスの影響で中止となりましたが、2021年8月17日~22日に開催予定です。詳細は追ってHP等ご案内をご確認ください。
(文責:前田)

【引用楽譜】
Petrucci Music Libraryより
・F.Schubert: Fantasie in C major, D.760 https://imslp.simssa.ca/files/imglnks/usimg/e/ec/IMSLP02232-Schubert-Wanderer-Peters.pdf
・J.S.Bach: Prelude and Fugue in C major, BWV870 https://imslp.simssa.ca/files/imglnks/usimg/5/59/IMSLP29930-PMLP05899-Prelude_and_Fugue_No.1_C_major,_BWV_870.pdf
・Rachmaninoff: Etudes-tableaux, Op.39
http://ks4.imslp.net/files/imglnks/usimg/f/f5/IMSLP39591-PMLP01894-
Rachmaninoff-Etudes-Op39.pdf

ベヒシュタインから見える風景 Nr.3

ピアノ教育の現場から—

ベヒシュタインピアノの特性を活かしながら、音楽をより深く理解するピアノ教育を実践している内藤晃先生と石本育子先生のお二人による「ベヒシュタイン シューレ誌上特別レッスン」。第2回目の今回は「和声の移り変わりを感じる」をテーマにお届けします。

和声の移り変わりを感じて。

内藤 晃(ピアニスト)
石本 育子(たかまつ楽器ピアノ講師)
加藤 正人(ベヒシュタイン・ジャパン代表)

石本:私のピアノのレッスン、既存のテキストも使いますが、少し曲のチョイスが変わっているかもしれません。年齢で言うと6歳前後の生徒に、

ギロック「雨の日のふん水」

J.S.バッハ「平均律1巻1番プレリュード」

あと少し大きくなるとベートーヴェン「月光第1楽章」を課題としてよく弾いてもらっています。課題を「弾ける練習」ではなく「和声の移り変わりを感じて音にする練習」をしてもらうためです。

 

内藤:脳で感じている音楽の変化が演奏に反映されるには、その指令が届くまでにわずかな時間が必要で、変化した瞬間にそれを感じても間に合いません。脳で感じている部分と、手が弾いている部分には、少しだけ時差ができるわけです。「次にどうなるか」を常に前もって脳で感じながら、そちらの方向へと音楽を運んでいく必要がありますね。

石本:そうなんです!平均律のプレリュードは1小節内で同じ形が繰り返されていくので初歩の練習に適しているんです。月光1楽章にしても次の和声を考えている時間がありますね。

譜例1 平均律第1巻〜プレリュード ハ長調

脳内の動きを楽譜に記すとこんな風になります(和声はコードネームで表記しました)

内藤:繰り返すところで、脳がいったん立ち止まって、「次を感じる」ことに集中できますからね!これが、スピーディーに絶えず移り変わっていく音楽になると、脳が次を感じながらフル稼働することになります。僕もひどく疲れている時などは、脳から音色への回路がスムーズでない時があり、そんな時は練習しないでスパッと休んだりするんですよ(笑)。「モグラ叩き」みたいになっちゃうので。

譜例2 平均律第1巻〜プレリュード ハ長調

このような「モグラ叩き」の状態から脱しましょう!

石本:そうそう(笑)脳をフル回転させています。今お話ししてるのは、「次の音符を読んでいる」というのとはニュアンスが違って、次の和声を感じることと音色を想起することを瞬時にやっているんですよね。そんな時に実際に音色のパレットに色がたくさんある楽器が大切かと。

内藤:ベヒシュタインは、要求に応えてくれるのはもちろんですが、とりわけ音と音のあいだの軌跡もクリアに聴こえ、中間色のグラデーションが美しく出るところが好きです。和声や調性の変化とともに、音色が翳ったり、あたたかな光が差したり。そんな微妙な陰翳こそ、人の心の琴線に触れてくるのではないでしょうか。

加藤 ベヒシュタインは、mp~fの音量、特に他のメーカーでは変化をつけるのが困難な中音域で、繊細にニュアンスの変化をつけられますね。ある部分をAのような造りにするとBのような特徴を出せる、とピアノ製作は単純にはいかず、ピアノの特徴は“構造の組み合わせ”で決まっていきます。ベヒシュタインは発音される音の立ち上がりが早く、その直後のディケイと呼ばれる減衰が比較的早く、しかしサスティーンが長いという音の特徴を狙っています。ハンマーが弦を打つアタック音の直後の減衰が早いということは、打弦タイミングのズレが聞き取り易くなります。ですから控えめに際立たせたい音をつくったり、響のスペクトルの変化を狙う時、ピアニストは例えば旋律と伴奏部に微妙な時間的なズレを、強弱の変化に組み合わせる事で、中間色のグラデーションをつけていると思います。ディケイが長い野太い音とは対照的な効果がベヒシュタインでは期待できます。

石本 ベヒシュタインの愛好家さんの中にはこのようなベヒシュタインの個性を知って中間色のグラデーションを探究し、より深い音楽表現を楽しんでいる方々がいらっしゃいます。今回誌上レッスンに取り上げました方もそのお一人です。

石本育子先生 特別誌上レッスン②

石本育子先生レッスン動画

次の和声を感じる (基礎編)

とてもよい感性をお持ちの大人の生徒Aさんがレッスンにいらっしゃいました。ご自身もベヒシュタインユーザーであり、ベヒシュタインで豊かな音楽を奏でることに喜びを感じてくださっています。

現在は月光の第1楽章を弾いていらっしゃいます。Aさん、月光第1楽章をステキな音色で弾き始めて7小節目まで弾いてきたのですが急にやり直されました。

石本:どうされました?

Aさん:実はここ大好きな箇所なのですが、感極まって弾いているとついガツンと音が出てしまって、がっかりしてしまうんです。

石本:なるほど。

Aさん:月光1楽章は大好きな箇所がそこかしこにあって、感動しながら弾いているんです。特に15小節目の「シレ♯ファ」から「シ♯レ♯ファ」の和音に変化するところにとても感激して、このたった半音の違いはなんて偉大なんだろうと。で、感激しすぎて次をミスってしまったりするんです(笑)

石本:Aさんはとても豊かな感性をお持ちで、ご自身の脳内にある音楽をベヒシュタインで充分に表現されていらっしゃいますね。時々ご自身が思ってもいない大きな音が出てしまってびっくりしてしまう、という場合も実は脳の指令の問題だと思います。ピアノを弾くとき、脳の働きはとても大事で、「音楽全体のイメージづくり」「弾いているときに次の音楽を思い浮かべる」「思い浮かべた音楽・音のイメージ通りに身体が間に合って動くように指令を出す」など、一度にたくさんのことをしています。その音を出す少し手前で、どのように身体を使ったら思ったとおりの音楽になるか?を一瞬で判断しなかればなりませんね。楽しみながら追究していってください。

Aさん:はい。以前先生が耳と神経を研ぎ澄ませて指先を鍵盤に置くようにとおっしゃっていたのがだんだんわかってきた気がします。もっともっと音楽を楽しんで弾いていけそうです

内藤晃先生 特別誌上レッスン②

内藤晃先生レッスン動画

次の和声を感じる (応用編)

内藤:ここ(5小節目)はどこに転調した?

Rくん:Des-durです

内藤:Des-durはAs-durの…

Rくん:えーと…下属調

内藤:そうすると、もとのAs-durのときの心のテンションに比べると…

Rくん:リラックスする方向にいきます

内藤:やってみて!

Rくん:(悪戦苦闘)

内藤:もっと脳で先回りして感じて、すーっと緊張解けますよっていう指令を出さないと。新しい調性の景色が見えてくるのはどこ?

Rくん:Gesが出てくるとこ(4小節目)です

内藤:このGesですーっとDes-durの世界に連れていきたいよね。背中を後ろ方向に引っ張られるようにすっとゆるめてみて!

Rくん:(演奏)

内藤:そう、その感じ!背中が前傾でイケイケモードのままだと、テンションが高まりっぱなしになっちゃうよね。緊張解く方向のときは背中をリラックスさせたいんだけど、瞬時に反応してくれるものでもないから、そこに差し掛かる一瞬前に、次リラックスさせるぞって指令を脳で出すんだ。

Rくん:前もって次を感じていかないとですね

内藤:脳→身体→音色の回路をつくるのに、脳と指の時差に慣れないとね!

内藤晃先生のレッスン開催決定

本誌上で「ピアノ音楽を表現すること」について、毎回様々な角度から分かりやすく解説いただいている内藤晃先生のリアルレッスンを汐留ベヒシュタイン・サロンにて開催いたします。ベヒシュタイン シューレの実際をぜひ体感してください。

日程:2020年12月4日(金)

会場:汐留ベヒシュタイン・サロン 東京都東新橋2-18-2グラディート汐留1F TEL.03-6432-4080

受講枠

(1)10:30-11:20

(2)11:30-12:20

(3)13:30-14:20

(4)14:30-15:20

料金 一般 11,000円(税込)、サロン会員 10,500円(税込)

講師メッセージ

音楽という流動的な生きものを楽譜という殻の中に押し込めるのは、実はとても大変なことです。そこからこぼれ落ちてしまった大切なものを掬い取って命を吹き込むべく、音楽と楽譜のはざまで思いをめぐらせています。すばらしい楽器は、再び生まれてくる音楽に色彩と生命力をもたらしてくれます。汐留の名器ベヒシュタインとともに、音楽の生まれ出る瞬間のわくわくするような新鮮な感動を皆さまと分かち合いたいと願っております。

内藤晃

 

受講希望・お問合せは、こちらまで!

yamada@bechstein.co.jp

042-642-1040(八王子技術・営業センター 9:00-17:00営業、土日休み)

担当:山田

ベヒシュタイン・ジャパンで過去に開催したイベントからピックアップしてご紹介
EVENT REPORT④
近藤嘉宏公開レッスン
日時:2019年2 月22日、23日
会場:汐留ベヒシュタイン・サロン

コンサートピアニストとして活躍されている近藤嘉宏先生の公開レッスンが前年に引き続き、汐留サロンにて行われました。ベヒシュタイン・ジャパン主催のレッスンにも度々登場され、細やかで的確な指導は好評です。今回は、2台ピアノを並べてのレッスンで、受講曲もショパンのバラードやリスト、ラフマニノフ、プロコフィエフなど、ピアニストが好む大曲揃いでした。今回はその中から、2曲レッスンを覗かせていただきました。

ラフマニノフ:前奏曲集 ト短調 op.23-5

「音量というよりは『締まった音』が欲しいです。音の響きとしてもっと美しく、バランスをコントロールしましょう。大きい音はそんなに必要ではありませんが、指先のスピードが必要です。」「和音の連打(【譜例1】)が今は割と無性格(表情に乏しい)なのだけど、どう弾きたい?ペダルの響きも併せてゆっくりテンポを落として弾いてみて。」ゆっくりのテンポで丁寧に自分の音を聴き、ハーモニーの変化を確かめていくよう、繰り返し指導されました。すると、速いテンポで弾いていた時は気が付かなかった絶妙なハーモニーの移り変わりや、層の違いが少しずつ見えてきて、立体的に聞こえてきました。

【譜例1】ラフマニノフ:前奏曲集 ト短調 op.23-5 冒頭

次に、中間部【譜例2】。

「和音が変わった瞬間に色が変わります。これをもっと感じ取って逐一反応して。」「内声の対旋律(【譜例2】赤丸)も意識してよく聞かせて。常にすべて(の声部)が独立していて、全部が有機的に噛み合ってなければいけません。」「右手の旋律のふくらみをもっと感じて。結果的に説明すると、この音より次のこの音の方が大きいとなってしまうけれども、それをそのまま再現しようとするというよりも、こういう音が出したい、こう弾きたいと求めることが大事です。もっと自ら音を求めて。」欲することが重要です、とのメッセージが強く印象に残りました。

【譜例2】ラフマニノフ:前奏曲集 ト短調 op.23-5 中間部

最後に練習方法について、受講生にメッセージを一言。「まず速く弾く必要はないので、とにかく一つ一つの音を丁寧に精度高く。音色、バランス、細心の注意を払って繊細に作っていってください。速いのは一か月に一回くらいで良いです(笑)。」

筆者もとりわけ大曲になってくると早く弾けるようになりたい、という気持ちが先走って細かい練習がおざなりになり時に純粋に音の響きを楽しむことを忘れてしまいしまいがちですが、今回のレッスンでひとつひとつの音を愛しみながらの丁寧な練習の積み重ねの大切さと欲深く音を求めることの大切さについて改めて考えさせられました。

リスト:スペイン狂詩曲(スペインのフォリアとホタ・アラゴネーサ) S.254 R.90

「表現したいことはすごく伝わってくるので良いですね。ただ、奏法がやや叩いてるようになっているので、試しに椅子を少し高くしてみてはいかがですか」とのアドバイス。すると、手首や腕の位置が上がり、自然に鍵盤に体重が乗せられる状態になりました。「それでもっと(腕の体重を)落として弾む感じにしてみたらどうでしょう。」(【譜例3】)

響きがだんだんと広がりベヒシュタインが鳴ってきました!

【譜例3】リスト:スペイン狂詩曲 序奏冒頭

カデンツ風のアルペッジョの速い走句の部分(【譜例4】)は、「指先で一音一音を点で集め、音の発音をもっと絞って。そうするともっと音の粒もそろってきて、動きも無駄がなくなると思います。」実際、受講生の音が前と比べ、きらびやかに、軽やかになっているではありませんか!

【譜例4】リスト:スペイン狂詩曲 序奏の一部分

その後、ゆっくりとしたバスのテーマが軸となる、いわゆる「フォリア」の部分。

※前半は「フォリア」というイベリア半島に起源を持つゆっくりとしたテンポの舞曲によっている。「フォリア」は短調で定型化したバスと和声進行をもとに変奏を行うという演奏慣習があり、リストもこの慣習の通り変奏曲形式で作曲している。(ピティナ・ピアノ曲辞典同曲解説より引用)

「右手が加わってきたら(【譜例5】)、テーマとそれに呼応する右手の合いの手がお互いにもっと関連しあって。掛け合いをしながらつながっていくように。さらにそのあとの右手が付点のリズムでテーマを変奏する時は、ひとつひとつの和音がクリアに。」

【譜例5】リスト:スペイン狂詩曲 「フォリア」の部分

近藤先生のレッスンは妥協なく細やかで毎回リピーターの方も多く、体の使い方、弾き方についてのご指摘もたくさんしてくださり、大変勉強になりました。ベヒシュタイン・ジャパンでは今後も定期的に開催していく予定です。奏法に悩まれている方、刺激を受けたい方など、是非次回以降のレッスンのご参加をおすすめします。日程などの詳細は弊社ホームページをご覧ください。

(文責:前田)

【引用楽譜】

Petrucci Music Libraryより

・Rachmaninoff: 10 Preludes, Op.23 http://ks4.imslp.net/files/imglnks/usimg/c/cc/IMSLP01144-Rachmaninoff_Prelude_Opus_23_No._5.pdf

・Liszt: Rhapsodie espagnole, S.254 https://imslp.simssa.ca/files/imglnks/usimg/1/1f/IMSLP158417-PMLP02612-Liszt_Klavierwerke_Peters_Sauer_Band_3_16_Rhapsodie_espagnole_S.254_scan.pdf

ベヒシュタインから見える風景 Nr.4

ピアノ教育の現場から—

ベヒシュタインピアノの特性を活かしながら、音楽をより深く理解するピアノ教育を実践している内藤晃先生と石本育子先生のお二人による「ベヒシュタイン シューレ誌上特別レッスン」。第3回目の今回は「ひとりでアンサンブル」をテーマにお届けします。

「一人何役も弾く」ということ

内藤 晃(ピアニスト)
石本 育子(たかまつ楽器ピアノ講師)
加藤 正人(ベヒシュタイン・ジャパン代表)

石本:内藤先生とよく話してることに「普遍的なものを伝えたい」という共通した想いがあるのですが、「普遍的なもの」というのはそんなに多いわけではあないと思っていて。その中の1つにピアノの楽譜の読み解きがあります。

内藤:88の鍵盤で広い音域をカバーするピアノでは、メロディー、内声、ベースラインと一人何役も演じることになります。このすべてのパートに血を通わせていいアンサンブルにするのが至難ですね。どうしてもメロディー以外の要素が「メロディーの付属物」みたいになってしまいがちです。

石本:そうですね、ですのでまだ小さくてさほど複雑ではない曲のうちから、構造を理解して弾く脳を育てるのがよいと思っています。例えばブルグミュラーで言えば25番もいいのですがもう少し声部が見えてくる18番が適していると考えています。

内藤:個々の声部がどんなパート譜になるか、分解して感じてみることによって、声部の抑揚とアンサンブルが自然になりますよね。パート譜のメロディラインが違うのだから、当然声部が違えば異なったカーブを描いていくわけで、これが「一人何役も弾く」基礎だと思っています。

石本:例えば第9曲の「朝の鐘」ではABAの3部形式のAでは上声部は常にE♭で鐘の音だったものが、Bでは2声のアンサンブルになる。複雑な絡み合いはないのですが、ここでは各声部の抑揚があり、Aより脳を使います。バスの動きと和声を感じながらそれをしていくので、子供たちにとっては楽ではなくなりますが、面白いと思ってもらいたいですね。

A:

B:

内藤:ところで、ベヒシュタインの澄んだ響きで弾くと、各声部の横方向の動きもくっきりと聴こえますから、血が通い切っていない声部が浮き彫りになって、アンサンブルの精度を高めていくのにうってつけですね!

加藤:ベヒシュタインの設計・製作思想の一つに<人の声のように抑揚をつけられる音造りができるピアノ>という考えがあります。同じ言葉からも人の声は、抑揚の変化で喜怒哀楽を感じることができますね。ある声部に異なった抑揚をつけることによって、和音の泉の中から感情を強調した声部として浮き立つわけです。音量だけのアプローチとは異なる効果です。ベヒシュタインの独特な倍音構成は、p(ピアノ)からmp(メゾピアノ)でも色彩の変化をつけやすくしています。この概念は100年前から現代に引き継がれる重要な要素の一つです。

石本:逆に、音符を1つ1つの記号としてパソコン入力するように打鍵していることも、また音符を縦に和音として読んでいることも、バレてしまいますね。ベヒシュタインで弾いていると否が応でも繊細な耳が育っていきますね。

内藤:楽譜を、パート譜の集積したスコアとして、ミルフィーユのように感じられるといいです。そのためには、ピアノ曲として書かれていても、作曲家の脳内でどのような編成・スタイルが想定されていたか、鍵盤上にアウトプットされる前のサウンドを思い描けるといいですね。10本の指で広範囲の音域をカバーするピアノは、歌や室内楽、オーケストラまで、あらゆるスタイルの音楽を翻訳可能な、万能楽器なわけです。

内藤先生、石本先生がお感じになっているベヒシュタインピアノの特性を活かしながら、実際どのように生徒さんたちに音楽を理解させていらっしゃるのか、誌上レッスンと動画をリンクして公開いたします。

石本育子先生 特別誌上レッスン③

石本育子先生レッスン動画

ひとりでアンサンブルを (基礎編)

前回に引き続き、大人の方のレッスンです。子育てをされながら、大好きなピアノを楽しく深く学ばれています。

メンデルスゾーン:3つの練習曲よりop.104-1

石 本:この曲の構造はどうなっていると思われますか?

Mさん:バスと高音のアルペジオの間にメロディがある形です。

石 本:そうですね、内声がメロディという少々弾きにくい形ですね。右手に山型のアルペジオがあると、和声の役割なのについつい過剰に歌わせたくなるので気をつけて弾いてみてください。

― Mさん、弾いてみる ―

石 本:どうですか?

Mさん:わあ、難しい!右手はメロディを担当することが多いのでつい歌わせてしまいます。

石 本:そうですね。山型のアルペジオですがメロディラインを描こうとイメージせずに「色塗り」をイメージしてみてください。その際、和声の機能(トニック・サブドミナント・ドミナント)や調性の変化にも気をつけてください。

Mさん:はい。でもこれをしながらメロディは歌を歌うように演奏するんですよね。そしてバスもあって…

石 本:そうなんです。バスにはバスの独立した動きがあって、まるで3人がアンサンブルをしているように演奏しなくてはなりません。

Mさん:私はこの曲の内声にあるメロディを美しいと感じて弾きたくなったのですが、和声・メロディ・バスそれぞれをちゃんと演奏しようと思うと本当に難しいです。以前はたくさん練習すればうまくなれると思っていたんですが、構造を理解してピアノを弾くって、身体じゃなくて頭を使うことなんだなあ、とわかってきました。

内藤晃先生 特別誌上レッスン③

内藤晃先生レッスン動画

ひとりでアンサンブルを (応用編)

内 藤:悲愴ソナタの第2楽章を、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの三重奏に見立てて、パート譜に分けてみたんだけど、僕がヴァイオリンとチェロを弾くから、Hさん、ヴィオラパートを弾いてみて。

(2台ピアノで合奏)

内 藤:ひとりで全部弾いたときと比べてどうだった?

Hさん:三者三様の役割が見えてきました。ヴィオラの16分音符が、音楽を前に進めていくんですね!

内 藤:そう!ひとりで弾くと、右手で2パート取るから、上のヴァイオリンの旋律を歌いたいところで逐一ヴィオラがもたついたりしがちだけれど、パート譜見て合奏すると、まず、そうはならないよね!

Hさん:そうですね!16分音符が並んでる譜面を見ると、前に流れていきたいです。

内 藤:このように、それぞれの人は、パート譜を見ながら演奏するから、パート譜のメロディーラインに導かれて心動かしていくことになるんだ。上行下行や跳躍など、描くメロディーラインが皆違うから、各々違う軌跡を描いていって、その交錯や重なりが、互いを触発して心の化学反応みたいなものを生んでいる。

Hさん:今まではソプラノ以外のパートがソプラノにくっついて平行移動しちゃってたかも…。

内 藤:そうすると人格がひとつになって、アンサンブルに聴こえないよね。それと、タテのタイミングが合いすぎても窮屈。実際のアンサンブルでは、パート譜のメロディーラインによって自然な伸縮が生まれるから、フレーズ内部ではわずかなズレを伴うはず…。一人何役も演じ分けるのが、ピアニストの難しさでもあり、醍醐味でもあるよね!

 

ベヒシュタイン・ジャパンで過去に開催したイベントからピックアップしてご紹介
EVENT REPORT ⑤

「ショパンの今と昔の響き」
ピティナ・ピアノセミナーより
日時:2019年7月21日(日)
会場:汐留ベヒシュタイン・サロン
講師:宮谷理香、飯野明日香

ピティナの汐留イタリア街ステーションでは様々なテーマで講師をお招きしてセミナーを行っています。汐留ステーション代表のピアニスト飯野明日香先生はベヒシュタイン・ジャパンでもフォルテピアノ・モダンピアノのレッスン指導、イベントを精力的に行っておられます。

今回はショパン演奏における第一人者であるピアニスト宮谷理香先生をお招きし、飯野明日香先生と共に「ショパンの今と昔の響き」と題したセミナーを行っていただきました。当日会場には、モダンピアノのベヒシュタイン(フルコンサートグランド)とフォルテピアノのトレンドリン(1835年製 音域:F1~g4の6オクターヴ+1全音)の二台が並べられ、ショパンが当時実際に演奏していたピアノの響きを体験しながら現代のピアノでショパンを演奏する際に考えるべきこと、弾き方の秘訣を伝授していただきました。

 

■当時のフォルテピアノと現代のピアノとの違い(飯野)
今回使用するトレンドリンという楽器は1835年に作られたもので、ショパンが生きていた時代とほぼ重なります。簡単に当時の時代背景を振り返りましょう。

フランス革命(1789年)を機に、18世紀後半から19世紀にかけて文化の担い手が教会や王侯貴族から資本を持ったブルジョワという中産階級へと変わってきました。このブルジョワは貴族的なステイタスを求め、そこでこのピアノという楽器が目玉に上がりました。ピアノを持ち、子女に習わせるということは一種のステイタスでした。当時の女性には、ある程度の教養や音楽の嗜みが求められ、需要も高まり、子女向けのたくさんの曲が生み出されました。

ここからはピアノのお話。代表的なピアノのアクション3つのタイプについて整理しておきましょう。

1.ウィーン式アクション
(シングルエスケイプメント)
19 世紀初頭当時の主流で、今回使用されるトレンドリンもこのタイプ。軽い繊細なタッチで一音一音コントロール、テクニックが必要。
2.イギリス式アクション 跳ね返り式アクションによって力強く張りのある音が出る。1に比べてパワーを必要とする。
3.ダブルエスケイプメント 今のピアノの原型。フランス人のエラールが1821年に発明。1・2に比べ、さらに大きな音が出る。連打が可能で、オールマイティ。ショパンが体調の悪い時に弾いたという。

そして、これに加え、プレイエル。プレイエルといえば、今日ではショパンが愛奏していた楽器メーカーとして知られていますが、作曲家・演奏者でもあり、ショパンはプレイエルを音楽家としても認めていたことを裏付ける証言が残されています。このように、音楽的な感性の点でも結びつきが強かったということが分かります。

この後、宮谷先生に交代し、ショパンの人物について、ショパンの手について等の興味深いお話が展開されました。そしてその後、飯野先生がトレンドリン、宮谷先生がベヒシュタインを弾きながら、実際の作品へアプローチをされました。

■ノクターン第8番 Des-dur  op.27-2
♪(トレンドリンで飯野先生冒頭を演奏。)

宮谷:繊細なコントロールですね。

飯野:柔らかいですよね。これを弾くときは手の甲が非常に大事です。フォルテピアノを習い始めて必ず言われることが、「力で押すな」。もし力で弾けば、楽器が悲鳴を上げて声を出さなくなります。

宮谷:実演していただけますか?

(実験後)…… 力で押すと、倍音が消えてしまうのですね。

飯野:そうなんです。力を抜いて弾くと、弦振動と共鳴をともにやりながら、お互いが歩み寄った響きを作っていけます。そしてペダル。残響が短いからペダルでもあまり濁らない。その分、響きを足していかなければ音が出ません。

宮谷:モダンピアノも力を入れすぎると、弦の響きがなくなってしまいます。ただ、打鍵の瞬間の指先のコントロール、一瞬でコントロールして重さを載せていかないといけない、その辺りがトレンドリンと違うところなのだと思います。モダンピアノで弾くとどうなるでしょう?~♪(ベヒシュタインで宮谷先生が演奏。)

飯野:モダンピアノもメーカーによって全く特色が異なりますけれども、今日はこのベヒシュタイン。感触はいかがですか?

宮谷:今日ベヒシュタインを弾いてみて感じたのですが、伴奏部分と旋律が、それぞれの音域で必要な役割を果たしてくれます。各音域で粒立ちが良い。なので、このトレンドリンと通じるところがあると思いませんか?【譜例1】

【譜例1】

飯野:そうですね。ベヒシュタインはフォルテピアノのシステムが一番現代でも生かされています。ベヒシュタインはなんとプレイエルの工場に弟子入りしていたという歴史があります!各声部の混じり合いが少ないという特徴が、受け継がれています。

宮谷:現代のピアノには珍しいですね。現代のピアノは他のメーカーだと、融合されたものを作り、その上でうまくバランスをとっていきます。なので、ベヒシュタインのピアノを初めて弾かれた時にもしかしたらバランスがとりにくい、と感じた経験がある方もいらっしゃるかもしれませんが、それはそのような側面があるからですね。

飯野:バランスということで言えば、フォルテピアノでは弾きにくいと思う箇所があります。右手の旋律が三度の和音で進行する部分。モダンピアノだと、よりバランスをコントロールできますが、フォルテピアノではちょっとしたバランスコントロールのこつが必要なのです!!

宮谷:モダンピアノでは下声部はすごく小さく上の声部をより輝かせようとバランスをコントロールします。 【譜例2】

【譜例2】

飯野:同じことをフォルテピアノでやろうとしても、あんまり差がない。だけど、響きとしては完結している。

宮谷:ああ、美しいですね!!でもその響きをモダンピアノでそのまま再現しようとすると、美しくない。やはりすごくバランスを取ります。あるいは、繊細さを生かして、煌びやかさはないけれどとても繊細な柔らかい音色で弾くこともできます。

飯野:小さい連符の連続する箇所【譜例3】などは意外と弾きづらい。フォルテピアノの鍵盤はモダンピアノに比べ、三分の一くらいの重さしかないといわれているにもかかわらず、粒を揃えにくくとても弾きづらいです。モダンピアノだといつも通り弾けるのに。

宮谷:そうなのですね!ここでは48個の小さい連符で書かれていますが、これを一つの箱(小節)に入れなければならないため、普通速く弾きます。モダンピアノでは速く弾けてしまうのですが、速く弾くと、ポーランドの先生は結構嫌がります。ひとつひとつの音がたとえ小さい音であってもすべて意味があるのだから速く弾くな、と。全部「言葉」なのだから言葉の震えが伝わるように弾きなさい、と教わるんです。まさしく今、飯野先生が仰ったようなことです。

飯野:モダンピアノだと簡単にできてしまうのに、これでは早く弾くことができないのです。粒立ちが悪い。逆に言えば、一音一音すべて言葉を持っている。

宮谷:一つ一つの音を伝えるようなつもりで、立ち上るように大事にひかなくてはいけないということですね。

■ノクターン第7番 Op.27-1

飯野:シャープ系からフラット系に転調するところはあまり意識しなくても自然に色が変わってくれる。放っておいても気持ちよく混ざってくれる。でもモダンピアノだと難しいと思いませんか?

宮谷:そうですね。ショパンの曲を弾くときは特にバランスが大事です。右と左だけではなく、和音のバランス、バスの音の後に続く和音を弾くときのバランス。そして、その理由が(トレンドリンを聞いて)すごくわかりました。ショパンがフォルテピアノで作曲していたということ。つまり、その最大音量を考えて演奏しなくてはいけない。その中で作られていた世界なのだろう、ということ。自分の一番出る音量はクライマックスまで取っておかなければなりません。その他の盛り上がるところで f が出てきても、最大を見せてはいけないのです。人は一度大きい音を聞いてしまうと、それ以上の大きな音の認識が難しくなるといわれています。クライマックスでないところは、さらにコントロールした音量とバランスが要求されるということですね。

【譜例3】ノクターンOp.27-2 48連符

■ワルツ第10番 h-moll Op.69-2
飯野:最後に聞いておきたいのが、ワルツ。ワルツのテンポ設定はどのようにしたらよいのでしょうか?

宮谷:ショパンのワルツを弾く上で考えなくてはならないのは、踊りのワルツと、抒情的な歌うような曲としてのワルツ。1・2番は踊りの部類、3番や7番は抒情的な繊細なもの。そしてこの10番も後者のタイプ。抒情的なタイプのワルツでは、1、2、3、と前者のタイプのように(リズムを強調して)弾く必要はありません。複数回出てくるのでたまにはそのように弾いても良いかもしれませんが。

でも、ショパン演奏では二度同じことは絶対に弾きません。すべて変えます。一度目はできるだけシンプルに、テンポもできるだけ揺らさず、ルバートは最小限に。日本のご飯を紹介する時に、まずは白いご飯をそのままお出しするように。2回目、3回目、4回目は自由に揺らしても自然に感じますが、1回目であまり揺らすと酔っ払いのようになってしまいます。

楽器と奏法を一緒に考えていくと、新たな視点が生まれ、表現の幅も広がりますね。

ここで一部が終了、後半はレッスンとミニコンサートでした。ショパンをテーマにフォルテピアノとベヒシュタインピアノを用いて宮谷先生、飯野先生の息の合ったお二人の対談・演奏形式で進み、とても実用的な内容でした。ショパンの容姿などの意外な視点から当時の時代背景、ピアノのアクションの話まで内容は多岐にわたり、ピアノ学習者でなくても楽しめるのではないかという盛り沢山な内容でした。

 

(文責:前田、白川)

 

 

【引用楽譜】

Petrucci Music Libraryより引用

・F.Chopin:Nocturn Des dur Op.27-2

https://imslp.simssa.ca/files/imglnks/usimg/9/92/IMSLP115009-PMLP02305-mendelssohn_op16no2_sibley.1802.2379.pdf

宮谷理香オフィシャルサイト
http://www.miyatani.jp/rika/

飯野明日香ホームページ
https://www.askaiino.com/

ベヒシュタインから見える風景 Nr.5

ピアノ教育の現場から—

ベヒシュタインピアノの特性を活かしながら、音楽をより深く理解するピアノ教育を実践している内藤晃先生と石本育子先生のお二人による「ベヒシュタイン シューレ誌上特別レッスン」。4回連載の総集編となる今回は「ピアノでオーケストラを」をテーマにお届けします。

ハンマーの打弦をイメージする。

内藤 晃(ピアニスト)
石本 育子(たかまつ楽器ピアノ講師)
加藤 正人(ベヒシュタイン・ジャパン代表)

石本:たかまつ楽器ではこの時期青い鳥コンペティションが近づき生徒さんたちはとても頑張っています。
特に連弾部門に出場の皆さんは日頃一人で弾いているので、よいアンサンブルを目指すために苦労しているようです。
やはりまずは
①2人で表現する全体像を理解すること
②オーケストラ曲のピアノ版の場合は如何にそこを表現できるか?
が鍵となることでしょうね。

内藤:ただ、どんなタッチで弾いてもピアノの音色はピアノで、ヴァイオリンやクラリネットの音色が実際に出るわけじゃありませんから、どのようにオーケストラのような響きの錯覚を作り出すかということになります。

石本:聴き手にそう「錯覚」してもらうんですね。それは内藤先生の書かれたベヒシュタインジャパンから出ている小冊子「ピアノでオーケストラを」にとても興味深く書かれていますね。

内藤:僕は、オーケストレーションというのは絵画の遠近法みたいなものだと思ってます。近くに聴こえる楽器と遠くに聴こえる楽器がある。それを、くっきりしたタッチと淡いタッチの使い分けで描き分けていきます。

石本:はい、単に「強弱」の差というだけでは、描ききれない表現があって、それに答え得る楽器と演奏者の工夫が必要だと思います。

内藤:この「淡いタッチ」というのが曲者で。鍵盤部分の雑音成分が出ないように弾くわけですが、慣れるまでなかなか難しいようです。そして、タッチのコントラストによる遠近感は、オーケストラの曲に限らず、どんな曲を弾くのにも最も大事になってくるテクニックのひとつですね。

石本:はい。
淡いタッチを感覚として意識するために、内藤先生がいつもおっしゃっている①戻ろうとする鍵盤の動きを指先で感じることや②「指や腕をどうする?」ではなくハンマーがどうやって弦を打つか?をイメージできることが大切ですよね?

内藤:そうですね!鍵盤の先についているハンマーの動きを指先で感じられることで、弦を直接爪弾いていくような感覚が生まれます。喩えるとすれば、ハンマーのついたアクションというまどろっこしい代物を使って、ハープを遠隔で弾いてるような感じですかね。

加藤:現代のグランドピアノは創業時にカール・ベヒシュタインが採用した「突き上げ式シングルエスケープメント」ではなく、エラールが発明した「ダブルエスケープメント」という連打に有利なアクションが一般的に使われます。当時使用されていたシングルエスケープメントは、連打性という意味では優位ではなかったのですが、鍵盤からハンマーまでの梃子の数が少ないので、鍵盤でハンマーの打弦の瞬間を感じ取ることが容易です。この点はショパンがエラールよりプレイエルを好んだ理由の一つになるのではないかと思います。

しかし、指先に神経を集中させれば、現代のダフルエスケープメントアクションでもハンマーの打弦の瞬間を感じ取ることができます。ハンマーの接弦時間を決める理想的な整音状態、また、アクションの調整が正確であるほど、その打弦の感触を掴みやすくなります。打弦タイミングを捉える指先の意識は演奏表現にとても重要でしょう。強弱の微妙な変化、発声タイミング、止音タイミングのコントロールが抑揚感・音色作りの要になるはずです。

内藤:とりわけベヒシュタインでは、声部ごとにタッチを弾き分けるとそれらが塊にならず分かれて聴こえてくるので、生き生きとしたアンサンブルに聴こえて面白いですね!

石本育子先生 特別誌上レッスン④

石本育子先生レッスン動画

ピアノでオーケストラを(基礎編)連弾を楽しもう!!

兄弟姉妹でレッスンに来てくれている生徒さんも少なくありません。せっかくですからと連弾等二人以上のアンサンブルを楽しくしてもらっています。はるかさんとほのかさんもそういうお二人です。
ブラームス作曲ハンガリー舞曲第6番の連弾版を弾いている姉妹のレッスン。動画にもあるように、オーケストラ版を聴いてそれぞれが弾いている声部はどんな楽器が担当しているのか?を見て考えてくるのが課題。

(以下は動画後のレッスンです。)

石本:楽器を意識した後の演奏、どうだった?楽譜の見方、ピアノを弾く時の考え方を〈私の左右の手〉ではなくて(ユニゾンも含め)メロディ、バス、対旋律等で考えてみてほしいんだけど。

はるかさん(妹):オーケストラを聴いてから、楽譜の見方が少し変わった気がします。

ほのかさん(姉):私は中学校で吹奏楽をしているんですが、合奏している感じを思い出しました。

石本:そうね、ピアノを弾くときはどうしても「右手は何の音を弾いて左手は何の音を弾いて…」みたいに分けて考えがちだけど、それだと出てきた音楽が平面的で表情のないものになるよね。

はるかさん:よく聴くと同じ旋律を複数の楽器が弾いているのがわかり新鮮でした。

ほのかさん:私はsecondなんですが低音はコントラバスだけでなくティンパニ等の打楽器も一緒に鳴っていて左手のバス音は、強さや衝撃のような音も出す必要があるんだなあと気づきました。

(2人でやってみる)

2人:難しいけど面白い‼

石本:そうね。次は動画からだけでなくてスコアも研究してみましょう。もっと新しい発見がありますよ。

内藤晃先生 特別誌上レッスン④

内藤晃先生レッスン動画

ピアノでオーケストラを(応用編)

内藤:今日はフランツ・リストがやっていたレッスンを再現してみよう。リストは、ベートーヴェンのシンフォニーをピアノに編曲しているけれど、それを使って、生徒にピアノで弦楽器や管楽器の質感を表現する練習をさせていたんだ。

Hさん:へぇ、すごいですね!

内藤:シンフォニーの7番の2楽章を使って、やってる。まず、冒頭。「ター、タッ、タッ、タァタァ」という旋律が出てくる。弦楽器がテヌート(ター)、スタッカート(タッタッ)、ポルタート(タァタァ)を奏でる。ボウイングが変わるよね。スタッカートでは弓を返す(デタッシェ)し、ポルタートでは同じ方向にひと弓でいく。これをピアノで弾き分けよう、というのがリストの課題なんだ。

【譜例1】

Hさん:♪ター、タッ、タッ、ター、ター

内藤:それだとポルタートじゃなくて普通にテヌートで弓返してるように聴こえるよ!

Hさん:え~っ…(試行錯誤)

内藤:それから、この楽章の最後。旋律がリレーのように違う楽器に受け継がれていくところ。メインで聴こえてる楽器は、フルート→クラリネット→ホルン→弦楽器のピチカート。これを弾き分けてみよう、という課題をリストが出している。

【譜例2】

Hさん:♪ター、タッ、タッ、ター、ター

内藤:ホルンはそんなに歯切れよくなるかな?

Hさん:えーっと…

内藤:管の長いホルンは、構造上、ほかの楽器よりも音のキレは鈍い感じ。だから、スタッカートをしても、少しだけ音価が長い感じになる。このことをリスト自身がレッスンで指摘しているんだ。

Hさん:すごーい…

内藤:ものまねタレントになったつもりで、各楽器の特徴、アタックの輪郭とか、音が出たあとの軌跡の感じを、ピアノで真似してみよう。音色は違うけれど、音のかたちは真似できるから、そうやってタッチの種類が増えていくと、オーケストラみたいな立体感が出てくるはず!

Hさん:がんばります!

内藤:作曲家自身がピアノ曲にもオーケストラ曲にもしているような作品を、ぜひ弾いてみてね。どこにどんな楽器をあてているかというオーケストレーションに、作曲家が作品にいだいていたイメージに近づくヒントが隠れているはず!

ピアニストとピアノ製作マイスターの対話 Vol.3への前奏曲 小さな勉強会
俣野先生レクチャーコンサート

「大海BachからBeethovenへ」
ピティナ・ピアノセミナーより
日時:2020年8月20日
会場:汐留ベヒシュタイン・サロン
講師:ピアニスト 京都芸術大学非常勤講師 俣野修子

第3回目となるピアニストと製作マイスターのレクチャーシリーズは、今年4月27日に、ベートーヴェン生誕250周年を記念とし、ピアノソナタにおける彼の作品の特徴「Bachからの影響」「室内楽的視点」の2点から考察される予定でした。しかし、新型コロナウィルス拡大のため、残念ながら来年秋へと延期になり、今回は「Bachからの影響」に焦点を当て、第3回目のプレリュードとして、勉強会を開催されました。

はじめに俣野先生は、ベートーヴェンがバッハに結びついた経緯を次のように語られました。「ベートーヴェンは11歳の頃に、バッハの孫弟子であるクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事し、クラヴィア奏法習得のために、彼から全調で書かれたバッハの《平均律クラヴィア曲集》の課題を与えられたことで、24の各調の性格とその其々調性に適したテーマに直に接することになりました。《平均律クラヴィア曲集》は、平均律という調律法によって発生した各調の性格の違いに注目して書かれた曲集とも言えます。ベートーヴェンは、この経験の中で、バッハの「調性の扱い方」や構造的な「作曲技法」を学び、少なからず影響を受け、そしてその影響は、彼の様々な作品の中からもうかがい知ることができると、ベートーヴェンが幼い頃からバッハの『平均律クラヴィア曲集』を勉強したことによって「調の性格」と「構造的技法」を体得していたことがわかりました。

次に、ピアノ製作マイスターの加藤より、「調性について」プロジェクターを使ったレクチャーが行われました。

「平均律」と「不等分律」「ミーントーン」は長3度の響きの違いがあるため、調律法によってCから離れるほど調性の色合いの変化が大きく感じられると説明しました。つまり調号が増えていくに連れて音の揺らぎが増えて聞こえてしまう、ということだそうです。

そして実際に純正律で調律したピアノを用意し、俣野先生に《平均律クラヴィア曲集第1巻》より〈11番〉のフーガF-durを弾き比べていただきました。俣野先生は、不等分律のピアノでの印象を、「明るい雰囲気」とFとAの「長3度のビート(揺らぎ)が少ない」「音程のハモリがはっきりする」と感じる、と平均律で調律されたピアノとの比較を平易に説明されました。

次に俣野先生は、ベートーヴェンの人生と作曲理念の変遷が表れている《32のピアノソナタ》に触れ、彼が若干10代にして影響を受けた、バッハの「調の性格」と「圧縮の技法」について語られました。ベートーヴェンのピアノソナタを、バッハの《平均律クラヴィア曲集》からそれぞれ抜粋し、比較しつつ、バッハからの影響が見られる特徴について実践的なレクチャーが行われました。

はじめに「調の性格」について

c-mollとf-mollは、ベートーヴェンにとって重要な調だと言われています。c-mollは《運命》《悲愴》《3つのピアノトリオ》の第3曲などが挙げられ、f-mollは《熱情》《弦楽四重奏曲セリオーソ》第11番《ピアノソナタ》第1番などが挙げられる。そして、c-mollは、人間の抗えない宿命や、運命的なものをドラマティックに表現しており、f-moll は、シリアスで絶望感のある調である。この二つの調性を持つベートーヴェン作品の中には、曲中や楽章において、田園的な雰囲気を持つF-durと、温かみのあるAs-durが効果的に使われている箇所が見られ、c-moll、f-moll から、これらの調への転調は、まるで救いのような印象となっている、と俣野先生はベートーヴェンが用いる調性の特徴を考察されました。

【譜例1】にある《ピアノソナタ第1番》の3楽章はf-moll で始まるが、Trioに移る際にF-durへ転調すると例を挙げられました。

【譜例1】 ベートーヴェン: 《ピアノソナタ第1番》 Op.2-1 第3楽章 mes.31-49

このような転調について俣野先生は、バッハの《平均律クラヴィア曲集第1巻》より12番f-mollのフーガ(F-dur・As-durへ転調)でも見られ、ベートーヴェンは、調性を考慮して最も適した部分で効果的な転調を採用する手法を、バッハの平均律から学んだものと考えられる、と具体的な例を用いて説明されました。

次に「圧縮の方法」について

俣野先生は、ベートーヴェンの音楽を支える要素として、「激しいコントラスト」「緊張感」「構築感」「急激なディナーミクの変化」「突然の沈黙(休符)」に加え、「圧縮」が挙げられる、と説明されました。バッハのフーガの中には、1つのテーマが終わりきらないうちに次のテーマを重ねる、ストレッタ(stretta ) と呼ばれる技法がよく使われ、このテーマが入るスパンを圧縮し、ストレッタを使うことで緊張感を生み出す効果がある、と「圧縮」による効果を説明されました。【譜例2】(アルト、テナー、バス、ソプラノの順にストレッタ)

【譜例2】 バッハ: 《平均律第1巻》より 〈1番〉フーガ BWV846 mes.14-8

そして、【譜例3】のように、テーマ自体が圧縮されることもよくあるそうです。

【譜例3】バッハ: 《平均律第2巻》より 〈10番〉フーガ BWV879 冒頭

この技法をべートーヴェンは、【譜例4】【譜例5】にある、《ピアノソナタ1番》の第1楽章冒頭や、《月光》の第3楽章に使われている、とベートーヴェンの《ピアノソナタ》の多くに「圧縮」の技法が使われていることを説明されました。
はじめのテーマは2小節で1つのテーマだが、次の段からはテーマの圧縮がされています。

【譜例4】ベートーヴェン: 《ピアノソナタ1番》 Op.2-1第1楽章 冒頭

【譜例5】ベートーヴェン: 《ピアノソナタ14番》Op.27-2 第3楽章 冒頭


このような構造的な裏付けがあると、ディナーミクが説得力を持ち、より緊張感、高揚感が生まれる、とベートーヴェンが用いる「圧縮」の技法を説明されました。
また、ベートーヴェンの後期のソナタの最も重要な部分にフーガを置いているところからも、バッハの影響が見られる、話されました。

俣野先生は、次回第3回に向けて次のように話されました。「ベートーヴェンは激しい性格であったが、自然を愛し、家庭に憧れ、人生への自問を繰り返す人間味の溢れた人物であった。そして、作曲家の性格は、必ず作品に現れるものであるため、ベートーヴェンの人生と、ピアノソナタにおける室内楽の影響を今回の内容と絡めてお話する予定です」

最後に《ピアノソナタ1番》より第2楽章を演奏されました。自然の中を手を後ろで組みながら歩き、自己と向き合うベートーヴェンの絵画がよくみられるが、そのようなヒューマニティーを感じられる曲である、と俣野先生はこの曲についての印象を話されました。

田園を散歩するような穏やかなF-dur の色合いが感じられる、深みのある温かい演奏でした。

 

【引用楽譜】
・L.v.Beethoven: Piano Sonata No.1 Op.2-1
https://imslp.org/wiki/Piano_Sonata_No.1,_Op.2_No.1_%28Beethoven,_Ludwig_van%29
Sonaten für Klavier zu zwei Händen, Bd.1
Leipzig: C.F. Peters, n.d.(ca.1920).  Plate 10543, 10555-56.

・J.S.Bach: Prelude and Fuga in C Major
https://imslp.org/wiki/Prelude_and_Fugue_in_C_major%2C_BWV_846_(Bach%2C_Johann_Sebastian)
New York: G. Schirmer, 1893.  Plate 11015.

・J.S.Bach: Prelude and Fuga in E minor
https://imslp.org/wiki/Prelude_and_Fugue_in_E_minor,_BWV_879_(Bach,_Johann_Sebastian)
Bach-Gesellschaft Ausgabe, Band 14

・L.v.Beethoven: Piano Sonata No.14 Op.27-2
https://imslp.org/wiki/Piano_Sonata_No.14%2C_Op.27_No.2_(Beethoven%2C_Ludwig_van)
Ludwig van Beethovens Werke, Serie 16: