音律

2017年4月2日(日)

響のテンションに対する音律の影響の効果を上手く利用している意味で、自分にとって最も興味深い音楽家はモーツァルトだ。

現在、鍵盤楽器などの調律方法は1オクターブを12に等分割する”平均律”というシステムで調律する。この場合、唸りの生じない、完全に調和する5度と3度の音程比が整合しない現象を、12音均等に分散する。

以前、ブログでも書いたが、なんのこと?とならぬよう改めて解説する

調和する5度(例えばドーソ)の音程比は2:3になる。仮にドの周波数が200Hzとだとソは300Hz、この音程比で完全にハモった5度ができる。

調和する3度(例えばドーミ)の音程比は4:5になる。仮にドの周波数が200Hzだとミは250Hz、この音程比で完全にハモった3度ができる。

1オクターブにある12音は5度を12回積み上げるとできるわけだが、5度を4回重ねるとスタートした音から2オクターブ高い3度の音になる。

ドから考えると、ド→ソ→レ→ラ→ミになり、2オクターブ高いミの音ができる、このミを1/4にすれば2オクターブ下がり、スタートのドから3音高いミができる。

これを調和する5度の音程比で表すとド→ミは、

3/2 x 3/2 x 3/2 x 3/2 x 1/4 = 81/64 になる。

では、調和する3度の音程比は4:5だが、調和する5度を積み重ねてできる3度の音程比と整合しているか?
5/4 の分母を64にし通分すると 80/64。同じでない。

その音程差は81/64 ÷ 80/64 = 81/80 になる。

すなわち、純正な5度を積み重ねてできる3度は完全に調和する3度の音程より81/80倍広がってしまう。

調和する3度を得ようとすれば、調和する音程比3/2の5度より狭い、調和しない音程比 2.9907/2の5度を作らなければならず、オクターブの分割に大きなしわ寄せができてしまう。

このような、5度の調和の矛盾をすべての12音に均等に分散したのが平均律。

目立つ3度の調和の具合をプライオリティーにし、意図的に不等分割する調律方法を”不等分律”という。

この調律システムは、シャープ、フラットのないC dur の3度を綺麗に響かせ、そこからシャープ ならG dur → D dur → A dur → ・・・フラットなら フラットならF dur → B dur → Es dur →・・・と調合が増えていくに従い、3度の調和が少しずつずれ倍音のずれで生じる唸りが増すという効果が出るようにする。

この3度の唸りが響きに緊張感を与え、調合の少なさ・多さが響の緊張感とほぼ比例してくる。

短調の場合、不等分の方法によるが、一般的にh moll 除き同主調でほぼ反比例の効果が出ていると考えても良い。

C durは柔らかく純粋に響くが、反対にc mollは凄い緊張感ある響がする。A durは明るい響がするが、a mollは比較的落ち着いた響がする。

長調と短調の明るさ暗さに加え、不等分律では、その転調の方向で、緊張を感じる短調、単純に暗い感じの短調、晴れ晴れとした春のように感じる長調、どこかに緊張があり決して全てが解決し晴れ晴れしくはないな、と感じる長調と、様々な響のテンションを体験できる。

平均律の場合、物理的にはどの調も全く同じ響で、ピアノなら奏者がタッチにより意図的に和音を構成する音の強弱や音色や発音タイミングのバランスを操作しない限り、単純に音の高低が違うだけで、同じように3度も5度も純正から少しずれた唸りを出し、どの調でも同じように響く。なので調による響の性格の差異は全く無い。

モーツァルトと不等分律

モーツァルトを不等分律で聴くと、この、調の性格を巧みに利用したんだと感じざるを得ない。音楽を聴くと、その曲の雰囲気からいろんなイメージを想像できるが、モーツァルトの場合、転調による響そのものの変化の効果とイメージが適合し、シンプルだが全ての音のポジションが心にどう作用するか計算されているのか、深い想像の世界に誘われる。

同じ短調でも a mollの響の効果とc mollと違う。長調も同様にF durとD durは響の様子が違う。

今日は、稲岡千架さんのモーツァルトのCDの発売日で、その記念のレクチャーコンサートを汐留サロンで行った。

決して自分は我田引水するわけでないが、モダンピアノで不等分律の効果がポジティブに出しやすいのはベヒシュタインと確信している。ベヒシュタインの場合、響きに透明感があるので、フォルテピアノのようなレジスター(音域)による響の色合いの違いを奏者が意図すれば作りやすい。

なので、モーツァルトのようなピアノ曲の場合、レジスター間の音と音のぶつけ合いが、フォルテピアノの時同様に効果的に作用し、不等分律でも、唸りの作用がディゾナンツな不快感にまでに至らない。
そのような意味で、稲岡さんは今回モーツァルトの録音に、不等分律でのベヒシュタインをチョイスしてくれたと思う。


今回モーツァルトが母親との演奏旅行中母を亡くした際に1778年パリで作曲されたという、Kv.310 Sonateが収録されている。

響の変化と言う意味ではゆったりとした2楽章の調の変化が興味深い。

2楽章の基調は牧歌的で柔らかく響くF durだが、稲岡さんに調の変化を書いてもらった。

F dur → C dur → c moll → d moll → F dur → g moll → F dur

F durからc mollへの全く対照的な響の位置でモーツァルトは何を訴えたか。考えてみると涙を誘う。

同様に3楽章も

a moll → C dur → c moll → C dur → e moll ….

調だけ見ていても葛藤を感じる。

インスタントな食材に慣れた子供は、昔のように育てた人参やトマトを初めて食べると吐き出す子もいるという。

同様にインスタントな音楽表現や楽器に慣れてしまうと、いつもと違う雰囲気に触れた際違和感も覚えるかもしれない。しかし、折角鑑賞に時間を使うなら、芸術からは違和感を超え大きな感動を自分は得たい。