「いつものピアノ」

2024年5月17日(金)

 

「イキモノピアノ」ではなく「いつものピアノ」、自分にとって今はベヒシュタインのアップライトピアノ・classic118がそれにあたる。祖母が亡くなった時に残してくれたお金で「エイッ」という気持ちで2008年に購入した。当時でも相当高いなぁと思ったが、今はその倍近くもしている。社内割引を利用したが、それでも今思えば形に残せてよかったなと思う。最近ちょっと弾く機会が減ってしまったが、日によって変化する響きに右往左往している。

かつての「いつものピアノ」は福山ピアノだった。ピアノを習い始めて1年ほどした小学校5年生のある日、そのピアノは家にやってきた。両親が自分達兄弟には内緒で買いに行っていたらしい。”Wilhelm”といういかにもドイツ語の響きに、そして”material made in Germany”の言葉に惹かれて。以前日本のピアノメーカーは、材料をヨーロッパなどから仕入れ、組み立てを国内で行うということもあった。自宅のピアノを調律してみるという、調律学校の課題でパネルを外して初めて気づいた。それまではドイツ製ピアノを信じて疑わなかったが、響板にはしっかりと”Fukuyama Piano”とあり、国内ピアノアトラスにも載っていた。

でもそれまで電子オルガンで1年練習していた自分にとっては、「ピアノっていいなぁ」と思わせてくれる楽器だった。今思えば相当鍵盤は重かったはずだが、平気でドビュッシーの「月の光」や「アラベスク1番」など弾いていた。そのマテリアル・メイド・イン・ジャーマニーの音が今の自分の中に残っているのだろうか?

ピアニストや作曲家にとって「いつものピアノ」とはどんなピアノだろう? 何台も所有している人もいれば、生まれてこの方ずっと同じピアノという人、何台も替えてきた人もいると思う。また移動によりホテル暮らしが多く、特定のピアノを持たないという人もいると聞いたことがある。「音楽家の家」(西村書店2012) というタイトルの本を以前見たことがあり、ピアノが置いてある家もいくつかあった。プレイエルやA.フォレスターなど。他の本でもグリーグはヘスラーを弾いていたし、シベリウスは贈られたスタインウェイを家に置いていた。

先日、調律が終わった後にお客さんが弾いてくれた曲の響きが変わっていて、曲名を聞くとヒンデミットの「ルードゥス・トナリス」(音の遊び)だと。ヒンデミットはベヒシュタインを使っていたと知っていたが、こういう面白い曲を書いていたのか、とちょっと興味がわいた。聞かず嫌いで今までほとんど聞いたことが無かった。グールドやリヒテルも弾いている曲がある。時間を見つけて探してみるつもり。ちなみにそのお客さんが弾いているのはシュタイングレーバーだった。探し続けて出会った一台だと。

「いつものピアノ」は良くも悪くもその人の「耳」を育み、そして「音」の記憶を作る。それがスタジオのピアノであれ、ホールのピアノであれ、家のピアノであれ。そしてその蓄積された記憶というデータが指に伝わり、また違うピアノで再現される(されようと試みられる)。

次は「五月蠅いピアノ」について。

 

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