ドイツ的なもの

2022年3月5日(土)

 

以前弊社のオウンドブログに掲載したものをこちらに再掲載いたします。

「ドイツ的なもの」  2021.08.23

元書店員だからというわけではないけれど、読書が趣味で、ここ15年ほど「年間100冊(漫画や雑誌は除く)」を目標にしています。ぎりぎりの年もあれば150冊を超える年もあります。

新作だけではなく、中古だったり、図書館を利用したり、昔読んだ本を読み返すことも。そんな時に小塩節氏の文章が目にとまりました。以前は読み飛ばしてしまっていた箇所も、今の自分は「なるほどなぁ」と身にしみ込む感じがしました。ちょっと長いですが引用しますと、

『楽器にしても、ヴァイオリンの名演奏者がいないわけではないけれど、むしろオルガンやピアノ、チェロやコントラバスのほうがドイツ人に向いている。そして、そういった楽器を単独で鳴らしてなにかの歌を奏でるよりも、いくつかの楽器を組み合わせ、立体的な構造をつくり、さらについには、重厚なオーケストラを編成してしまう—、これがドイツ人だ。作曲家もそうだし、演奏家たちもそうだ。

彼らひとりひとりはとても孤独だ。ドイツ人の孤独は、世界と神に向かっての孤独であって、家族や仲間と肌をすりよせていないと寂しい日本的孤独とちがう性質のものであるらしい。そんな孤独な芸術家でさえ、オーケストラを志向し、たったひとりのつぶやきをシャンソンに歌うのでなくて、ケルンの大聖堂建築のような立体的世界をつくろうとする。主柱は高みへとのぼっていく。しかし全体としては、深みTiefeを求め、重厚に根源的な生の神秘を語ってやまない。これがドイツ人だ、という気がする。それはまたドイツの森の姿とよく似ている。』 -「ドイツのことばと文化事典」1997講談社学術文庫より

カール・ベヒシュタインがここで言う「ドイツ人」と自身が認識していたかどうかはわかりません。(彼はザクセンのゴータ公国の出身。今のドイツの元は、1971年にプロイセン王国が主となり成立しました)もしかすると人生の後半においては意識していたかもしれませんが、ベヒシュタインというピアノで奏でられる音楽は、まさにこの小塩氏が述べるドイツ人(の奏でる音楽)の姿に重なっているように自分は思いました。

ドイツに数年間住んでみて、そしてドイツ音楽や、ドイツ文化、ドイツ語などを少しずつ知るにつれて、いろいろと思い考えることがあります。(ここで言う”ドイツ“とは、1971年以降のそれではなく、神聖ローマ帝国から続く、”ドイツ的“なものを指しています)そして自分は日本人なので、常に自分とそれらを比較して考えることが多いです。周りを海に囲まれた日本と違い、ヨーロッパの中心(やや東?)で常に周りからの影響を受け、そして周りに影響を与えているドイツ。EUの一員となり、自国だけでなく他国との協調を余儀なくされ、いやがうえにも自分たちを認識、確立させないといけないドイツ。おのずと考え方も日本(人)とは違ってくると思う。

ベヒシュタインの創業地は、当時はプロイセン王国の首都ベルリンだ。日本から明治政府の使節団が訪問した記録もある。19世紀末にはベルリンはヨーロッパにおいてパリをもしのぐ大都市となり、様々な人、文化が交差する場所となった。そんな中、フランスピアノの影響を大いに受けつつ創業し、様々な時代に良くも悪くも関わり合い、発展(一時危ない時もあったが)してきたベヒシュタイン。もちろん“ドイツ的”なもの(音楽)だけを表現するわけではないので、より多くの人に受け入れられ、より表現の幅を広げるよう変化してきたとは思うが、創業時の音の根幹はぜひ守っていってほしいと願います。(その根幹については、ピアノカタログなどに詳しくあるので、そちらを参照ください)

その後“ドイツ的なもの“についていろいろと考えてみましたが、まず何をもってドイツとするのか?という定義づけをしてからでないと難しいと思いました。カロリング朝の成立から考えるのか、神聖ローマ帝国の成立以降をドイツとするのか、いや1871年以降とするのか、考えるだけで楽しくなってきます。そして自ずと周りのヨーロッパの国々にも興味が出てきます。また音楽を聴くだけでなく、言語、歴史、文学、絵画、芸術全般も知りたくなります。

最近読んでいる「堀田善衛を読む」高志の国文学館・編 2018集英社新書 に鹿島茂氏が、

『実際にフランスへ行ってみると、日本とのあまりの違いに反発することもありますが、その一方で素晴らしいところもたくさんあります。自分と全く違うものを学ぶということは、比較が可能になるということです。自分の国しか知らないと比較が難しい。(略)一つしか知らない人間は、かなり幸せなはずです。自分と他を比較するようになると、人間は不幸になります。

しかし、さらに比較を進めることによって、逆に、自分とは何かが分かってくる。あるいは、自分たちと比較することによって、他者が分かってくる。だから、フランス文学やヨーロッパ文学を学ぶのは、他者を体験することでもあります。』と書いていましたが、フランスをドイツに置き換えてみると、今の自分にはすっと体に入ってきます。

今年(2021年)は8月の下旬ですでに79冊、3月末(2022年)までに170冊はいけるかもしれません。

*ちなみに2022.2.10現在166冊でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。