ベヒシュタインのシュルツェ社長が上海ミュージックメッセに訪問を兼ね先週来日した。この機会を利用し国内のディーラーを集め営業会議を行なった。
ヨーロッパのピアノ製造は、チェンバロやフォルテピアノの製造の延長線にある、と言う事を確認させられるマーケッティング戦略の説明がベースになった。しかし、一見古く感じられがちな方法だがヨーロッパでのベヒシュタインのシェアの拡大は実際目を見張る。現代における原点回帰の一つの成功例の確認共有ができ、オーガナイズ側の我々も勇気を与えられた会議だった。
その会議を行なった後、自分も上海で開催される上海ミュージックメッセを訪問した。
ここのメッセはドイツのフランクフルトメッセのノウハウがそのまま提供されていて、フランクフルトメッセを訪問したような錯覚さえ覚えた。
中国はまさにピアノバブルと言った状況で、先輩諸氏から聞く半世紀近く前の日本と同じではないだろうか。まさに黙っていてもピアノが売れる、という事が体感できる展示内容だった。
1990年頃のフランクフルトメッセでは、韓国のピアノブランドがメッセ会場に目立っていて、その後、多くが姿を消していく事になる東ヨーロッパ製のピアノにアジアからの新興勢力が台頭していた。
当時の新興メーカーのブランドは殆ど一掃され、それに変わる中国ブランド、そして中国メーカーに買取られた元ヨーロッパのブランドが会場を埋め尽くす勢いは、90年代のフランクフルトメッセのピアノ会場の勢いを思いださせた。
上海の街
秋葉原に電気屋が並ぶような勢いで、ピアノショップが連なる通りがあると聞き街に繰り出した。
ハードの販売が先行しすぎてしまうと、この後やってくるのは何か、を我々日本人は体験している。
丁度上海に来る前に行なったベヒシュタインの会議で確認した内容と、上海で感じる経済拡張のまっただ中の“ピアノ市場の歪み”をわれわれの経験から修正できないのか?と想いは膨らむ。
今回の上海訪問は、街からわき上がるエネルギーに圧倒されそしてその力を心にもらう事ができた。ある意味始めてヨーロッパの街を訪れた26歳の秋と丁度同じような感覚を覚える。