五月蠅いピアノ

2024年5月28日(火)

 

5月中にこのタイトルで書いておかないと、と少し焦りつつ。「五月蠅い」と書いて「うるさい」と読む。完全な当て字がキーボードに打ち込むと自然に出てきた。かつて夏目漱石が書いていたと仕入れた情報だが、この季節ハエの活動が活発になり、皆が納得した結果広まったということか。

ピアノはいくら上手に思い入れいっぱいに弾いていても、その音が嫌い、ピアノについて嫌な思い出がある人からしたら「うるさい」対象になりうる。かつてはそれで人殺しも起きてしまったと聞く(「日本のピアノ100年」前間孝則・岩間裕一 草思社2001)。 日本だけではなく、諸外国でも似たようなことはあるようで、もちろんピアノだけでなく他の楽器でもあるわけで。個人で楽しみたいと思っても、防音室や気兼ねなく弾ける環境がないと、違うストレスをため込んでしまう。

昨日もピアノの後ろに吸音材を詰め込み、壁に音を拡散させる材を貼り付けているお客さんを訪問したが、それに慣れてしまえばいいのだが、やはりそのピアノの抜けるような爽快な響きは損なわれている(はず)。そういう自宅でも、以前の住居で使っていた吸音パネルの置き場所がないので、ピアノのうしろに置いてしまい、しっかり吸音してしまっている。その響きに慣れてしまい、またその響きで調律もしているので、今さらパネルを取り外すと、かなり「五月蠅く」感じてしまうのだろう。また、最近のタワー型マンションでは、おそろしく防音、遮音ができている気もする。隣の部屋、上下の部屋の生活音がほとんど聞こえない。廊下を歩いていても聞こえない。これがスタンダードになれば、少なくとも日中は問題が少なくなるのではないか。

澄んだ響き、よく響くボディ、これらを生かしつつ音のサイズを下げる。そういうピアノができると、これからの時代まだまだ需要は創出できるのかなとちょっと思いました。(すでに前出の著書にも同じようなことが書かれていた)大は小を兼ねるのではなく、家で楽しんで弾くのにそこまで大きくなくてよいということ。例えば響板面積を小さくするとか・・・。でもそうするとやはり物足りないとか中途半端だから売れないということになるのか。(かつて製造されていた88鍵盤無いミニピアノは淘汰されていった)

「日本のピアノ100年」は以前持っていたが、知らぬ間になくなっていて、最近文庫化されたので再読した。改めて読み直すと、日本のメーカーの変遷がわかり、その苦労、他国メーカーに追いつき、追い越そうとする努力が伝わる。それらが今の日本のピアノ文化を支えているのだとわかる。何事にも先達はあらまほしきことなりけり。

次回は「エキゾチックなピアノ」

 

 

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