夏の時期は冷房を入れるので、ピアノのピッチは通常高めに変化する。
響板の反応が良いピアノ程音程は元気に暴れる。大きく変化する箇所は、中音域の低音側になる。
ピアノは通常平均律で調律するが、4度や5度の調和感が中音域の音程の上下に合わせ変化する。なので、その辺りは大きく温度が変わると平均律とは大きくかけはなれた調和感と言うか、ハーモニーが完全にデチューン状態になる。
日中で、大きく温度が変わる、エアコンを入れたり切ったりする冬と夏の変化が極端だ。
今年の夏は猛暑のせいか冷房を入れてもピアノの中の熱気が抜けないのであろう、冷房を入れる時期に多い、ピッチが上昇しているピアノが極端に少なく、逆に、暖房を入れて暖まった時に見られる音程変化と同じようになっているピアノが多い。出会う楽器ごとで変化が全く異なり、頭を切り替える必要に迫られる事が多かった。
話変わるが、ここの所、これでもかと言う勢いで、電化製品が次々にデジタル化されている。
便利さや安全性の反面、使用する側がなにかしらの意図を持ち「少しの工夫を施す」という余地が、デジタル化と反比例するように回りから消えていっているように感じる。
中高校生の頃アマチュア無線をしていた。当時のアマチュア無線の短波で一般的に使用していた電波の方式は、通常のAMの電波の使用周波数帯域を約半分にできるよう、振幅のマイナス側をカットし、受信側がカットしたマイナス側を鏡のように電気的に作り合成することで「認識できる音声」にするという方法が一般的だった。
この場合、例えば受信する時、少しだけずらして合わせると、混線から狙った声を認識することができたりした。多くの混線から通信に成功した時は、自分が施した工夫(コツ)が実ったような達成感を得ることができ楽しかった。
同じ頃に体験した、コツという意味での別の思い出がある。授業の中にクラブ活動の時間があり、1年間写真を取った事がある。その中で、白黒の写真の現像や焼き増しも何度か経験した。中には趣味で日々写真にこっている人達もいて、色合いの出し方が見事だった友人がいた。
感動するとどうしても真似をしたくなり、何でだ?と技を盗む事、コツを考える事、が楽しい遊びの時間だった。
最近、デジタル煙草にニコチンが含まれていた云々とニュースで騒がれていた。自分は虚偽の広告の愚かさよりも、喫煙行為をデジタルコントロールするようになってきた事にどこかしら恐ろしさすら感じる。
ここの所そんな事を考えながら、猛暑でまいっているピアノをさわっている。
因みに、僕は特に必要がある場合を除き、デジタルチューナーを使わず温度で音程が変化する「音叉」で、ピッチを取る事にしている。勿論、意識的にそうしている