先週末になるが、国立市の芸小ホールでプレイエルを使用したコンサートがあり、調律の仕事をさせていただいた。
今年、国立音楽大学大学院を今年度修了する岡本さんが企画を立て、彼が所有するコルトー時代のプレイエル “モデル3bis”を会場に持ち込んだ、ソロとアンサンブルのコンサートだった。
ソロはショパン、アンサンブルはモーツアルトの弦楽4重奏とショパンのピアノコンチェルト1番の室内楽編成だった。
1年半程前、1841年製造のプレイエルを使用した、仲道郁代さんと有田正広さん指揮のショパンのピアノコンチェルトの録音の仕事をさせていただいたいが、その時と同じ事を今回のコンサートでも感じた。
それは、ショパンの描いたコンチェルトと、コンサートやCDで普通我々が耳にするショパンとの乖離だ。
20世紀初頭に作られた楽器は、19世紀のピアノ(フォルテピアノ)と響きの共通点を明らかに感じる事ができる中低音のクリアな響きを有している。ピアノがクリアな響きでないと、ピアノと弦楽器との絡みはコンフリクトしてしまい奇麗なハーモニーに聞こえてこないし、旋律同士のダイアログの成立が困難になる。
小編成で昔の楽器(戦前の)を使用した音楽を聴くと、今、一般的なステージで演奏されるショパンは、筋肉質“すぎる”事がわかる。
違う楽器に例えるなら、まるで、ガットギターとベンチャーズの使うようなエレキギターとの響きの違いにそれは匹敵するのではなかろうか、と思える程の違いに僕は感じる。
故に、我々はピアノを一括りに考えてはいけないと思うのだ。最近デジタルピアノですらピアノと言う括りにしている人達がいるが、全くとんでもない話なのだ。
可憐な響きの世界にいると旋律の絡みはいつもより色濃くなり、自分の意識全体が音楽に近づいていき全神経がが集中していくのが解る。
とても素敵なコンサートだった。