オーディオ機器の一つとして使用していたテープデッキが壊れた
ライブ録音等の音源をCDに焼き直そうとしていた時、テープがよれてしまった。
テープその物がおかしいのかと思い、試しに他のテープでやってみたが結果は同じだった。
「修理に出さないと」と思いつつも、配線を外す煩わしさが先行し半年近くオーディオラックに放置状態だった。
音楽に携わる仕事をしているのにも関わらず、それほどテープという録音メディアは自分の生活から遠く離れてしまったかもしれない。
年始の休み中、重い腰も漸く上がりラックからテープデッキを引っ張り出した。
以前ツートラックのオープンリールを修理に出したときの記憶が頭に過った。
「まだカセットテープは使われてはいるが、使用者も減っているから高い修理になってしまうかな」
と、頭の中で修理依頼をするか否かを決める金額の線を考えながら近所の電気屋さんに持ち込んだ。
オーディオ好きなら誰もが知っていたT・・・の文字を、受け付けてくれた自分の娘と同じくらいの年齢の女性店員は不安げに確認しながら伝票に書きこんでいるようにも見えた。
「メーカーに出し修理見積り依頼しますね」
預けて数日経ち、電気屋さんからかみさんに連絡が来た。
「メーカーに部品が無いから修理不可能と返送された」
がその内容だった。
このデッキは2000年以後購入したので、自分の感覚ではオープンリールのように決して古い物ではなかった。
10年以上前からCDを聴く事が多く、テープを聴くときはラジカセで聴く方が圧倒的に多かったので、決して昔のようにハードには使用していなかった。
機器も、3ヘッドでバイアス調整もちゃんとできる、それなりのものだ。
自分の扱っているベヒシュタインは、2000年代はまだ新品のような物で、1920年前後のピアノでも普通に修復する
1800年代のピアノもその価値を認められれば修復し、音楽的に普通に使える。
2000年代に市場にあったそれなりのものも、メーカーの関心がなくなってしまう変化の現実は、暴力的だな、とも感じてしまった。
もしくは所詮カセットテープは未来に残す価値も無い場繋ぎの存在だった、ということなのか?
それならそれなりに理解しなければならないだろう。
少し前にトラベルソの先生宅で聴かせていただいた蓄音機。これは心暖まる良いサウンドだった。
そういう価値は恐らくカセットテープにはなく、確かに中途半端な存在だったかもしれない。
まだ頭の整理ができない。悔しい。。