ヨーロッパでのピアノ製造のこだわりを基本コンセプトにした、ベヒシュタインのホフマン(W.Hoffmann Tradition)の日本デビューを前に、業者さんを対象にしたプレゼンテーションが昨日始まった。来週は関西で、その翌週は九州で行う。
多くの欧米の、又、日本のピアノメーカーは、アジア大陸、東南アジアへのピアノ製造工場の移転を進めている。その理由は多くの産業同様製造コストの削減にある。しかし、果たして芸術的な要求が高い楽器製造において、製造地域の移転が何処迄可能なのか疑問を感じる。ベヒシュタインはその疑問を自らが体験し、ベヒシュタイン・グループのピアノ造りはヨーロッパで行わなければならない。と確信に至ったわけだ。
ヨーロッパの街の早朝を体験された方は多いと思うが、石畳の静寂の中に身を置き、何処からか伝わってくる音を、響きとして身体全体が感じる事は無かったであろうか? オペラハウスの響きの中で、歌い手と楽器の絶妙な旋律の掛け合いを体験した後、夜の街の中にこだまする自らの足音と共に音楽を反芻されたことは? 教会のコーラスの響きの中に天上の声を感じられた事は?
決して日本文化、アジア文化を否定するのではなく、文化そのものが単純に“違う”のである。
ベヒシュタインは、ピアノの製造の重要な部分は、絶対的に人の手によって行う。というこだわりを譲らない。人は音楽により感動するが、音楽、音を奏でるのは人である。感動を知っている人こそが人を感動させる音を生み出す事ができる。ピアノはあくまでヨーロッパの伝統音楽が生み出した楽器である。ならば、芸術手工業として位置づけられるそのピアノ製造は、ヨーロッパでないと、本質が何処かに置き去りにされてしまう。という事だ。
プラハから約3時間東に車を走らせた、フラデツクラーロベー(Hradec Kralove)という町にベヒシュタインがピアノ工場を買い取り設立した、“ベヒシュタイン・ヨーロッパ”がある。この工場(ベヒシュタイン子会社)の責任者は、ベヒシュタインの技術最高責任者のレオナルド・ヂュリチッチ副社長だ。彼は、週末をベルリンで過ごし、月曜の早朝、ドイツ・ザクセン州ザイフェナースドルフのベヒシュタイン工場を経由し、更にそこから車で3時間弱走った、チェコのフラデツ?クラーロベー入をしているという。
現在は、ドイツピアノ製造マイスターのシュトローベル氏はチェコ・フラデツクラーロベーの工場に常勤している。
彼らは、ドイツ統一の際に、首都になったベルリンから製造の主拠点をザクセン州のザイフェナースドルフに移転させたが、今、再びその時の移転ノウハウを生かし、国境が無くなったと言っても過言ではないチェコに、第二の製造拠点を作ったわけだ。
その、ベヒシュタイン・ヨーロッパで、W.ホフマン・トラディションは造られる。設計は全てベヒシュタインのR&D(研究開発室)が行った。ベヒシュタインの理想とする、透明感ある響き、広いダイナミックレンジがこのピアノにも同様に追求されている事を、ピアノを触れる人は瞬時に理解するだろう。ベヒシュタインの次ぎなる挑戦W.ホフマン・トラディションは“ヨーロッパでのピアノ製造のこだわり”をモットーに、大量消費材同様に扱われ製造されるMade in asiaのピアノで溢れるピアノ市場に問題を提起している。