ブログにするのに少し時間が経ってしまった。。。
ピアノのもつ音量のリミットと、音色が変化する音量のポイントを再考する機会。が、11月23日王子ホールでのミシェル・ダルベルトの演奏会だった。
前にブログに書いたがシューベルトだから是非ベヒシュタインで。
が、氏のベヒシュタインを使用する理由だった。
今回はその演奏会に C.Bechstein D-282の貸出をし、調律の仕事をさせていただいた。
シューベルトといえば、フォルテピアノでもしばしば演奏されるので、力強さと言うよりも、少し哀愁感のような物を感じる演奏を想像していた。
しかし、氏の演奏は内にある様々な感情を外に向けて発散しているような力強い演奏だった。
演奏を聴いていて改めて感じたのだが。現代のベヒシュタインの場合、ある程度の音量を与えると色彩感は更に明確になり、隠(さ)れたモチーフや声部のようなものがより明確に浮かび上がってきていた。
フォルテピアノでは音が解放されていくような響きのニュアンスの変換点が、音量レベルが早い時点(小さなレベル)でおきる。
又、レジスター間の音色の違いも明確に聞き取れる。なので、響きの色彩感、メリハリを小さな音量で体感できる。
同じような効果をモダンピアノで得る場合、楽器を鳴らす(様々な部位を振動させる)為にはそれなりの音量が必要になる。
楽器を充分に鳴らしてないと響きの立体が貧弱になってしまい、響きの陰にある異なった声を魅力的に表せない。など考えると、フォルテピアノ的な演奏=静寂さ とくくるのはおかしく、フォルテピアノ的な演奏をモダンピアノで実現するには、モダンピアノに色彩感の可能性があり、その可能性を充分引出すために楽器を鳴らせていないと同じような効果を得られない。と考えた方が自然ではなかろうか。と改めて感じた。
逆に、立体的で色彩感有る演奏であり音量を求めたくないのであれば、フォルテピアノをチョイスしなければ難しいだろう。
ドイツ物の場合特に、自分は旋律の美しさと同時に有るレジスター間での立体美が好きだ。どの音色をどの時間にどのような存在感で空間に放つかで、響きに生命が与えられたように感じる。
ミシェル・ダルベルトは、まさに、その響きの生命を感じさせてくれる強烈な演奏をした。
あれから2週間経過したが、彼の音楽が頭から離れない。