165 Jahre C.Bechstein 9 番外編1

2018年10月9日(火)

研修は翌日の朝食ミーティング(朝ごはんを食べながら、ベヒシュタイン財団の活動、古いベヒシュタインのリペアの取り組みなどの報告)でおしまい。

Without You , No Bechstein in the future.とK.Schulze。「Bechstein family」という言葉を多用していました。これだけの人達がまた集うということはそうそうないと思われるので、貴重な体験、時間であったなぁとしみじみ思いました。顔なじみになった人と「またね」と声を掛け合いました。

ここからは番外編。少し帰国までに時間がありましたので、私はLeipzigに行ってみることに。ツアーの方もPrag経由で帰国の方、Dresdenから明日早めに帰国の方など別々になってしまいます。 NeugersdorfというSeifhennersdorfの近くの駅まで乗せていってもらいます。

なぜか駅舎がほとんど閉ざされていました(ここからDresdenまでの駅でもけっこう多かったです)。「ナチス出ていけ!」という文字が目に飛び込んできました。難民問題などドイツ含めヨーロッパは、日本ではあまり考えたことのない問題を抱えています。失業率も高いと聞いています。そういう意味では、この田舎町で相当の雇用を生み出しているBechsteinは非常に ありがたい存在でもあります。

途中列車の接続問題か何かでバスに乗り換え、また列車にとハプニングもありましたが、エルベ川を渡り、Dresdenに。塔がたくさんたっている美しい街です。こちらについては、以前佐々木が訪問した際のブログが詳しいです。

私はここでツアーの方といったんお別れし、Leipzigに向かいます。車掌さんが調べてくれた時間より少し早くRE(レギオナルエクスプレス)が発車。途中Meissenを通るか?と思いましたが、別路線を通りました。約90分の移動でLeipzigへ。ここも12年ぶりです。

今回はメンデルスゾーン記念館に行くのが目的ですが、元同僚のN君がStuttgartから来てくれるというので、彼に会という目的もありました。

ヨーロッパでも1、2を争う巨大な駅(どん詰まりの駅をKopfbahnhofと言います)。以前は暗い、黒い、汚いというイメージだったようですが、地下も改装されにぎわっています。

 

元同僚(N君とします)が予約したホテルに先に行くことになり、12年前の記憶を頼りに旧市街を歩きだします。これが失敗で、きちんと地図を確認し、トラムで行けばおそらく10分で行けたはずでした。ゲヴァントハウスの建物、トーマス協会を見ながら、そしてこんなところにMusikhochshule音楽学校(メンデルスゾーン校と言う名前)があるのか、等と余裕を見せながら歩き続けた結果、迷いました。

聖トーマス教会はここへきたら外せないでしょう。翌日朝、すこしだけミサを行っている堂内に入りました。オルガンの響きが降り注いでいました。有名なバッハ像です。

「これはまずい」と地図をきちんと見直し、自分のいる位置を再確認。全く違う方向に来ていて茫然としました。ホテルも週末は鍵を違うホテルに預けているとかで、そちらへ行って鍵をもらっての入室。汗だくでした。1時間は無駄にしてしまったようです。

ホテルはかなり趣のある建物だったので朝ごはんの時に聞くと、かつては大使館として使用していた建物だったと。近くにアメリカ領事館や裁判所もありと安全面ではばっちりのロケーション。

食堂にはFuchs&Moehrというアップライトピアノが。(ベヒシュタインではありませんでした)子供たちがたまに弾くそうです。技術者ですと話すと、「調律しますか?」と。

旧東を今にとどめる「アンペルマン」(信号男)今も少し残されています。Leipzigの駅前で。