この方、ハンス・フォン・ビューローです。(1830~1894年)
今から161年前の1月27日当時27歳の自身のリサイタルでベヒシュタインのお披露目と師匠であるリストが作曲した「ロ短調ソナタ」を初演しました。このベルリンでのリサイタルは、好評を博しベヒシュタインの楽器のもつ優れた特徴も十分に発揮されました。
それは、カール・ベヒシュタインが、修行の後1853年27歳でベルリンに工場を設立して以来、4年後のことでした。
ベヒシュタインは友情をとても大切にしたので、有名な音楽家、ピアノのヴィルトーゾと親交を深め彼らからピアノ製造の様々なアイデアを得ます。その中で特にビューローやリストの影響が大きく、ベヒシュタインの名が世界中に広まっていきました。
ビューローは、ベヒシュタインのピアノについて「ピアニストにとってのベヒシュタインは、言うなれば、ヴァイオリンニストにとってストラディヴァリウスやアマティである。」といっています。
ビューローは、9歳でクララ・シューマンの父にピアノを師事し20歳でリストに弟子入りしました。ピアニストとして活躍し、ワーグナーからは指揮法を学びベルリンフィルハーモニー管弦楽団の初代指揮者になりました。
指揮者であるビューローやリスト達が、友好関係の中でベヒシュタインに要求していたことは、なんだったのか。それは、当時ドイツロマン主義の音楽表現を実現できるオーケストラのようなピアノでした。
「複雑な和音や早いパッセージを奏でても、内声・外声が分離し、旋律のゆったりと歌うような抑揚と同時に背景に回る伴奏部の音色との違いを表現し、そしてpppからfffまでの幅の広いダイナミックレンジを」
このような要求によってさらに独特な透明感と色彩感を造り上げる響きの個性が確立し、それは現在も継承されています。
昨年3月に汐留ベヒシュタインサロンにて、リスト国際ピアノコンクールで日本人初の第1位に輝いた若手実力派ピアニスト・阪田知樹さんとナビゲーター浦久俊彦さんで「リストの真実 ソナタの終焉 ~『ロ短調ソナタ』を味わい尽くす」が開催されました。
浦久さんから「このリストのロ短調ソナタは、ベヒシュタインで初演されたのですが、阪田さんはベヒシュタインのピアノはどのように思われますか?」の問いに「鍵盤を鳴らした時に、音の立ち上がりの反応がとても速く、音の粒立ちがクリアなので、このリストのロ短調のような音の込み入った作品でも音の成り立ちや曲がどのように書かれているかが、はっきりと聞こえてきます」と応えられました。
80席というサロンの中で阪田知樹さんの演奏がきけるというこの贅沢な公演は、浦久さんのナビによって リストの初稿との弾き比べやクイズ、ビューロー、リスト、ロ短調ソナタにまつわる様々なエピソードが紹介されて大盛況でした。其々一晩では語りつくせぬ程の論説があるようで、それも興味深いところでした。
最後にロ短調ソナタについて、リストのことばの紹介がありました。
「もはや音の単なる連結ではなくポエジーの言語である。それは、限界を超えたもの、分析の及ばぬあらゆるものを表現するのに、おそらく詩そのものより適しているだろう。」このポエジーの意味は、詩そのものではなく音楽を音楽に、絵画を絵画に、文学を文学にたらしめる芸術の根幹にあるものを表現しようとしたとのことでした。
161年前の今日のビューローのリサイタルは、どんな演奏だったのでしょうか。私は、すっかりこの曲に魅了されてしまい、せめてフーガのところだけでもいつか弾けるようになりたいと憧れていますが、先は遠そうです。
スタッフD