第4楽章 日本におけるベヒシュタイン
32,《首相官邸のピアノ》
「千代田区永田町二丁目三番地一号、渋くくすんだ煉瓦づくり、二階建ての古めかしい館(館と呼ばれることが一番似合いそうな)である。愛知県の明治村に運ばれた旧帝国ホテルや近くとり壊されるという赤煉瓦の東京駅などと、ほぼ似たような共通のさびた匂い(明治・大正の匂い)の漂う建物だが、ライトのつくった帝国ホテルは一九二二年(大正一一年)、東京駅(辰野金吾博士設計)は一九一四年(大正三年)で、永田町のその首相官邸は、それからやや後の一九二八年(昭和三年一一月)に建てられたものである。
経済大国といわれる、今をときめく国の権力の座の象徴としての首相官邸にしてはいささかくたびれ風の老残のたたずまい。
……この場所は、佐賀鍋島藩の江戸屋敷のあった所である。あの“化け猫騒動”の鍋島藩だが、今日でも猫騒動に似た権力への執念と確執、権力を奪った者が権力を維持するため一層の“謀略”をこらし、権力をもぎ取られた者の怨念がうず巻く政治劇の舞台でもあるといわれている。
北側に面した正面玄関から入って中央ロビーから右手の廊下づたいに行くと、官邸で一番大きな大ホールと言われる大広間がある。カマボコ型の長円形天井で、両サイドに切り込まれた細長いガラス窓がカーブして見える。
天井中央に並んで、なかなか豪華なシャンデリア。ロココ調とまではいかぬが、総理大臣の招宴に応じる外国貴顕紳士のタキシード、淑女のイブニングドレスも、まあまあ似合いそうなグランド・ボールルームである。
そのホールの北側の詰(つめ)に小さな中二階があって、そこに一台の漆黒のグランドピアノが、ひっそりと五十年、半世紀もの間、居座りつづけていたのである。
鍋島家あとの首相官邸の片隅に居座りつづけていたからといって、「此箱の中にあるは鼠ならずば猫なるべし。汝は何なんと思ふや……」という伝で、猫の化身のグランドピアノかも、などと洒落てみようというわけではない。
そのピアノは、首相の主催する、例えば新任の駐日大使歓迎宴などで、その大使の祖国の国歌や懐かしのメロディ?を奏でて遠来の客の労をねぎらう役割りをつとめていたということである。
月に一回、あるかないかのバックグラウンドミュージックが出番の、ほんとの陽の当らぬ場所に配謫の身を(心あらば)かこっていたのではないだろうか。
もっとも、かつて中村紘子さんが、ここでピアノコンサートを披露した晴れのひと時もなかったわけではなかったというが、このピアノは世界でも最も高貴なるピアノといわれ、ハンス・フォン・ビューローをはじめフランツ・リスト、そして近くはルビンシュタイン、バックハウス、ケンプなどなど歴史に残る多くの名ピアニストにこよなく愛されてきたベヒシュタインのグランド(ドゥローイング・ルームグランドといわれた)C型の一つであったのである。製造番号一三二・一一七番。一九二八年の製品である。首相官邸が落成した同じ年、昭和三年に製作されたものである」
以上は檜山陸郎先生の『洋琴ピアノものがたり』の引用ですが、さらにベヒシュタインと日本のかかわりについて、同書には極めて興味深いお話が述べられていますので、以下紹介させていただきます。
33,《総代理店となった日本楽器》
今日、世界一のピアノ生産(消費)国として、自他共に許すにいたったわが国のピアノ(の製造技術発展)にとって、ベヒシュタインは最も多くの良き影響を与え、その発展に大いに貢献したといってよさそうです。
すなわち大正一〇年三月、日本楽器のピアノ製造部門の最高責任者でありました、河合小市氏(後に河合楽器製作所を設立)を団長にして四名(技術者二名、営業担当二名)の社員が社命によってアメリカからイギリス、ドイツ、イタリアへと世界を一周、各国のピアノ市場の実態について見学視察を行ったのですが、結論としてベヒシュタインピアノの輸入総代理店契約を結んだばかりでなく、ベヒシュタインの技師長であったエール・シュレーゲル氏を招へいすることにしたのです。これが日本におけるピアノ製作だけでなく、演奏技術の上でも大きな影響を与えることになります。
社員や工員の月給が五〇円そこそこの時代に、シュレーゲル氏に対しては月一、〇〇〇円の報酬を提供しました。社長(当時天野千代丸氏)以上の給与でした。
シュレーゲル氏を室長として、河合小市氏、大橋幡岩氏、多米浩氏などでピアノ研究室が作られました。そして、明治三三年(一九〇〇年)に国産ピアノ第一号を世に送ってから四〇年目(一九四〇年)にして、ようやくわが国のピアノ製造技術は、一歩前進のエポックをむかえることになるのです。
河合小市氏らがベヒシュタインとの提携を土産に、欧米旅行から帰って間もない大正一五年一一月に、日本楽器はわが国ピアノ史上画期的ともいうべき、声明文ともいえそうな宣伝文書を製作、全国に配布しています。その内容は当時の時代世相をよく物語った貴重な資料だと思われますので掲載したいと思います。ただし前述した部分と重複しているところは若干省略し、漢字や送り仮名など書きかえております。
つづく
次回は34,《日本楽器が作った宣伝パンフ》
〈ピアノの御選定につきまして〉
〈弊社が選定致しました次第〉
をお送りします。
/tsr201600714/
向井
注: この内容は1993年発行のベヒシュタイン物語(ユーロピアノ代表取締役 戸塚亮一著)より抜粋しておりま す。なお、この書籍の記載内容は約20年前当時の情報を元に執筆しておりますので、現在の状況・製品仕様と異なる点も多々あります。予めご理解頂けますよ うお願い申し上げます。