今回より2016年に開催した第1回ノアンフェスティバルショパンインジャパンピアノコンクールで入賞された方々の体験レポートをお送りしてまいります。
今回はショパン・ナイト賞を受賞された佐原光さんによるレポートです。
ショパンナイトとは10/16のショパンの命日を偲び、ノアンのアルス城で開催されている演奏会のことです。
日本人では今回レポートを書いていただいた佐原さん以外には、過去實川風さんも参加されていました。
今回も当コンクールの特別賞の1つとして、優秀な成績を収められた方に授与されます。
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今回、夢のように素晴らしいショパン・ナイトで演奏する機会を与えて下さりましたアンリ先生をはじめ、
ユーロピアノの皆様に心より深く感謝申し上げます。
私は、フランスにずっと憧れていました。フランスへ行く事、フランス・ノアンで演奏する事が私の憧れ・夢でした。
“ノアン”というショパンにとって特別な場所で演奏する事ができて、凄く嬉しくてとても楽しかったです。
ノアンは体調が悪かったショパンが、唯一元気に過ごして心身共に充実した特別な土地でもあります。
ノアンは、とても自然が豊かで食べ物も本当に美味しかったです。
日本では秋・秋晴れの時期ですが、私が居た間ノアンは、お天気にも恵まれ、雲一つない晴天、とても綺麗な青々とした青空が果てしなく続いていました。まるで初夏の様でした。
私は、10月16日・ショパンの命日にちなみアルス城で演奏しました。
お城は、古城で長い歴史も感じられ、思っていたよりずっとずっとスケールも大きく威厳もあり高貴な建物でした。
お庭も広々と延々に続いていました。夜になりライトアップされると、一段とゴージャスでした。
お城で演奏するのは人生で初めてです。
ご来場の聴いて下さっている皆様は、女性はドレスアップされ、男性はタキシード姿でした。
私は聴衆の皆様との距離も身近でした。私は自然に高貴な気分になりました。
ピアノの音色はとてもよく響くお城で、ホールとはまた違った空気が流れています。
フランス・ノアンのからっとした空気の中に独特な響きがしました。
私は幸運なことにプレイエルピアノで演奏する事ができました。
1846年と1955年のプレイエルピアノです。1955年のピアノで「アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ」、「舟歌」、「ソナタ第2番・葬送」、アンコール曲「3つのエコセーズ」を演奏しました。
1846年のプレイエルピアノでアンコール曲「ノクターンOp.48-1」を演奏しました。
1曲目の「アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ」が終わり、『ブラボー!!』と聞こえました。
私の心は凄く弾みました。私の心もほぐれ、「舟歌」へ移る事ができました。
「ソナタ第2番」の演奏が終わると直ぐに、会場いっぱいに響き渡る沢山の拍手を頂きました。
再び『ブラボー』が聞こえ、私の励みとなりました。
これからも再び、フランス・ノアンで演奏できる様、より一層更に成長し充実した姿・演奏を表現できる様、
聴いて頂ける様に頑張ります。
1846年のプレイエルで演奏する事は難しかったです。
どんなピアノかワクワクし、いざ弾いてみると打鍵のタッチが強い為か音は伸びず全く響きませんでした。その為、現代ピアノよりも様々なタッチを要求されました。
演奏していて、これがプレイエルの難しさ、特徴なのかと感じました。
本番はその難しさにドキドキしましたが、指やタッチをコントロールし演奏しました。
皆様から大きな拍手を沢山頂きました。今思うともっともっとプレイエルピアノを弾いていたかったです。
プレイエルピアノを演奏する事で、ショパンの音楽をより理解する事ができ、ショパンが求めていた音楽へと追求していく事ができると感じます。
そして、私はショパンが過ごしたノアンの館にも行く事ができました。
ショパンの家・ショパンの勉強ぶりやジョルジュ・サンドとの暮らしを見る事は滅多にありません。
見るもの全てに目を奪われました。幸いなことにノアンの館に置いてあるピアノをフランス人のガイドさんに『ピアノを弾いてもいいよ』と勧めて下さりました。
私は「ノクターンOp.48-1」を演奏し皆様から温かな拍手も頂けた事も嬉しかったです。
この場所でショパンが生活し、曲が作られていった過程やショパンの様子を想像すると、時空を超えてまるでその時代に行った様に感じます。
このノアンで、ノアン・ショパン・ピアノ・演奏を磨き学び、又学問を通して一気に習得する事もできました。
私がノアンで過ごした日々は私の大切な大切な宝物です。
ショパンの音楽・ピアノをもっともっと魅力ある演奏ができる様、これからも頑張ります。