ザイフェナースドルフ工場見学ツアーに行ってきました〜その5

2018年1月2日(火)

あけましておめでとうございます。

東京本社ショールームの佐々木です。本年も宜しくお願い致します。

 

皆様はお正月をいかがお過ごしでしょうか。ゆっくり過ごされている方は、どうぞゆっくりお過ごしください。忙しくされている方もいらっしゃるでしょう。今日も街に出たら、いろいろな店がもう開いていて、ずいぶん驚きました。さすが日本は違うな、と思いました。

街に出ている人の数の多さにも驚きました。私は、今日は秋葉原と御茶ノ水に行ってきたのですが、御茶ノ水は閑散としておりましたが、秋葉原は人でいっぱいでした。今日みたいな日に秋葉原に出てくる人たちって、いったいどういう人たちなのでしょうか。こんな新年早々、秋葉原になんの用事があるのでしょうか?

アジア系の観光客や、英語を話している西洋風の方々も多くおりましたが、大半は日本人のお兄ちゃん達でした。あのお兄ちゃん達は、いったい何をしに秋葉原に出てきていたのでしょうか。真空管屋もラジオデパートもオーディオ屋も閉まっているというのに、一体秋葉原になんの用事があるのでしょうか。

そういう私も、秋葉原をウロウロしておりましたが、おめあての店はどこも閉まっておりました。

正月に時間があるので、それでは電子工作でもしようかと思い立ち、秋葉原まで行ったのですが、真空管やも、トランス屋も、コンデンサ・抵抗・スイッチ類を扱っている店も、どこも閉まっておりました。

当たり前です。今日は元旦です。元旦にトランス屋が営業している必要はありません。

トランスがないと命に関わる。どうしてもノグチトランスの電源トランスと、出力トランスを揃えなくてはいけない。という方は、この日本に皆無でしょう。

コネクター屋も閉まっておりました。

どうしても、キャノンのコネクタがないと正月が過ごせぬ。という方はおそらく少ないでしょう。トランスと違って、放送関係の仕事をされている方もいるので、皆無とまでは言いませんが、正月からキャノンのコネクターだけ必要だという人はおそらくいないでしょう。そんなにキャノンケーブルが急遽必要であれば、家電量販店が開いておりましたから、あそこでなんとか調達可能です。だから、コネクター屋も閉まっていて当然です。

正月ぐらいどこもかしこも閉まっているというのが、社会として健全だと思います。医者とおまわりさんぐらいには営業していただけるとありがたいですが、そんなこと言っていたら、お医者様とおまわりさんやら、自衛隊の方々は片時も休めなくなってしまいます。

それでは気の毒です。

それでも、秋葉原のお店は結構どこも営業しておりました。フィギュア屋さんも、漫画屋さんも、メイド喫茶も、どこも営業しているようでした。それらの店の間をくぐり抜けて、コネクター屋の前までたどり着き、コネクター屋が閉まっていることを確認してきました私が言うのだから、間違いありません。

正月が一番儲かるからといって、お店には元旦くらい休んでもらいたいもんです。休んでもらわないと、こっちは、ついつい浪費してしまいます。

今日は御茶ノ水にレコードを見に行きましたが、営業してました。レコード屋さん。お店の中は鮨詰めでみんなせっせとレコードを探しておりました。中には大きなカゴ2つにどっさりレコードを入れて、それでもまだCDの棚の前で頑張っている方もおられました。きっと、レコードとCDを大量に買い付けに来たのでしょう。きっとあの人は、これから地方巡業に出て、日本海沿岸のレコード店の少ない地帯とかを回ったりしながら、あのカゴいっぱいのレコードとCDを売って歩くのでしょう。あれは、どう見てももはや仕事でした。

僕は、仕事ではなく、遊びでレコード探しに行ったのですから(まあ、昨日も同じ店に行きましたが)二、三枚買うのが関の山です。

今日は、ムラヴィンスキー レニングラードフィルがチャイコフスキーのロメオとジュリエットを演っているロシア盤のレコードと、ビングクロスビーとローズマリークルーニーのデュエット版を買いました。ムラヴィンスキーの方は、もしかしたらCDですでに持っている音源かもしれませんが、キリル文字が書かれたラベルと、「外見はいい。音楽だけ聴け」とつぶやいているような無愛想なジャケットにヤられて買ってしまいました。まあ正月だから、いいだろうということで。

なんて言ったって、ムラヴィンスキーです。暴君ムラヴィンスキーが、逆らう楽団員は全てシベリアに送り込んで、自分についてくるメンバーだけを残したという恐ろしい噂もあるレニングラードフィルとチャイコフスキーを相手に真っ向勝負しております。多少の音質の悪さなんて、この際どうでもいいです。

ムラヴィンスキーといえば、彼は長年日本製のメガネを愛用していたそうです。彼の、1975年の来日の際の「実況録音」のレコードを持っておりますが、そのジャケ写でかけているメガネは日本製で長く愛用していた、とライナーノーツに書いてあったような、なかったような気がします。日本で、天ぷらやハヤシライスを美味しそうに食べていたとか書かれておりました。そういったどうでもいいことばかり覚えており、肝心のショスタコーヴィチの「革命」の演奏については、何も覚えておりません。

 

とにかく、1975年、鉄のカーテンをシベリア鉄道と船で突き破ってカムチャッカ半島から日本に上陸したムラヴィンスキーを思うと東欧という世界がいかに遠い存在だったかを考えさせられます。

また、前置きが長くなってしまいました。

工場見学ツアーのレポートです。

僕は、いつも前置きが長くなってしまい、肝心のレポートが短くなってしまいます。「レポート部分の内容が薄いではないか」とか、「これでは、レポートの体をなしていないではないか」とか言われるかもしれません。その結果「お前はドイツで何をしてきたんだ!」とお叱りを受けるかもしれません。いや、うけて当然です。

許してください。もう、一ヶ月も前のことなんです。

忘れてます。

 

しかし、全て忘れてしまったわけではありません。体に刷り込まれたかのような記憶は残っております。

それは、「東欧の香り」です。

ドレスデンから、ベルリンに移動する途中にライプツィッヒに寄って、ランチも入れて3時間弱観光をしました。観光と言ってもライプツィッヒの中心街を徒歩でウロウロして、バッハ博物館を見学しただけですが、それでも、結構ライプツィッヒの記憶はあります。

 

なぜ、それだけライプツィッヒが記憶に残っているかというと、「東欧の香り」がしたからです。ドレスデンも明るい雰囲気ではなかったですが、ライプツィッヒはなんだか空が鉛色で、空気が冷たい街でした。

永年雨に打たれたコンクリートのような色をした街でした。

ドレスデンに比べて、何倍も浮浪者が多く、街を歩く人たちのいでたちも地味でした。

上の写真は、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウスが奥に見えますが、「あー、やっぱり」というような建物の色をしておりました。いかにも、ヘルベルト・ケーゲルなんかが録音してそうな陰気な建物です(実際そんな録音があるのかどうなのかは知りませんが)。

ライプツィッヒといえば、このゲヴァントハウスの建物に全てが集約されております。なんでも、全てを集約してしまうのが僕の悪い癖ですが、「ライプツィッヒへの旅の追想」という映画をもし私が撮ったら、このゲヴァントハウスの前の通りをカメラ回しっぱなしにして、固定カメラでたっぷり2時間半の長編を作れる気がします。

もちろん、ライプツィッヒといえば、バッハやら、メンデルスゾーンやらで有名だということですが、僕にはバッハ博物館やら、メンデルスゾーン像なんかの100倍このヘルベルト・ケーゲルが出てきそうなゲヴァントハウスの前の大通りのほうがインパクトがありました。

バッハ像

 

もちろん、バッハ博物館で見たバッハ直筆のスコアなんかも、見応えはありました。あれはあれですごい。

そして、セントなんとか教会。ああ、トーマス教会。(セント・トーマスはソニーロリンズか)

あれもすごかったです。

確かに、美しい教会でした。有名だというステンドグラスそうですが、なんと言っても2台あるパイプオルガンがすごかった。音を聞けなくてざんねんでした。あの教会ではコンサートも行っているそうです。あんなに凛とした空気の中で音楽を聴いたらさぞ緊張しそう。一度聴きに行きたいです。

 

 

ライプツィッヒの街を歩いていると、路上で管楽器のアンサンブルを披露している方々がおりました。たしか、ヘンデルを演奏していたと記憶しておりますが、どの曲だったかは覚えておりません。なんとも曖昧な記憶です。しかしながら、とても素朴な響きで良かったです。

 

この旅行中に、ツアー参加者の方で学生時代に吹奏楽を盛んにされていたという方がいらっしゃって、彼が高校時代ウィーンだったかザルツブルクだったかに演奏旅行にいった時の話をしてくれました。

ある日、吹奏楽の大会のようなものがあって(誠に曖昧な記憶です)、ウィーンの街を各団体が演奏しながら練り歩いていたら、パーっと雨が降ってきた。楽器が雨にあたると、よくないですから、吹奏楽の楽団員たちはそれぞれ建物のファサードの下に入り雨をしのいだ。ウィーンの通りをいくつもの楽団が一斉に練り歩いていたので、ウィーンの大通りの軒下は吹奏楽の楽団員たちでいっぱいになり、それぞれが楽器を大事に抱えて雨が止むのを待っている。しーんと静まりかえる雨のウィーン。

その時、どこかの楽団のトランペッターが、曲を吹き始めた。そのトランペットに合わせて、軒下で雨をしのいでいた楽団員たちがポツリポツリと合奏に加わる。気がつくと、町中の楽団員が一緒にその曲を奏でていた。

という、話でした。

僕は、この話を聞いた時に、合奏できるのって羨ましいなあ、と思いました。僕も、楽器を練習して合奏してみたいなあ、なんて思いました。しかし、後日よく考えると、私は譜面に弱いので、合奏は無理かもなあ、などと考えました。

まあ、合奏はいつか先の未来でいいや。などと考えながら、落書きの書かれた煉瓦塀を横目に、ライプツィッヒの街を後にしました。

 

前回のレポートはこちらをご覧下さい。