それでは「音楽的に音が合う」とはどんな事なんでしょうか?
一つの例として
私はたまたまオーケストラでの演奏経験がありますが、ご存知の通りオーケストラは演奏の前にチューニングをします。
しかし、あれはほとんど儀式的な物であの時に合わせた音でその後演奏されるとは決して限りません。
音楽が激しく興奮すれば全体のピッチは上昇し、穏やかな静かな場面では再び下がる事があります。
そこで優秀な奏者であればあるほど絶対的な音高とか音感とかに従うのではなく「今自分が合わせるべき楽器」に臨機応変に「完璧に」合わせます。
それは基準的な音高より高くても低くても柔軟に追従します。「あなたが高いから私は合わせられない」とか言い訳をしているのはアマチア奏者の人ぐらいです。
音楽は演奏中、常に流れて進行していますので理想はどうかではなくて「今最善の事は何ができるか?」を常に考えています。
ベートーベンの交響曲中での木管アンサンブルが良く登場します。フルートとオーボエのユニゾンでメロディーラインを動く様な場面またそれにクラリネットとファゴットが加わる様な場面。
そこで完全に音が上手く合う事が出来ると実に不思議な感覚になります。今自分が合わせようとしている相手の音と自分の音が完全に同化して自分の音が聞こえなくなります。これは音が完全に共鳴して同化しているのだと思います。
そして何処から鳴っているのかわからない様な、楽器の周辺一帯の空間全部が全部が音で満たされる感覚に包まれます。そして音色も音が合う事で何の楽器が鳴っているのか分からない複数の楽器が一体化した音になります。それは作曲家が確信犯的にもともと用いた複数楽器によるミックストーンと言われるサウンドが出来上がります。
心の中での心がけ・・
音を美しく合わせるコツはこのような事があります。
合わせる相手の出している音程のツボ、芯をめがけて
自分の楽器の音程をコントロールして「当てる」
響きを同化させる
音量を揃えて同化させる
演奏している空間を響きで完全に満たす様なサウンドを心がける
この空間を響きで満たす感覚は優秀な声楽家の方の演奏を間近で聴くと大変意味が良く理解できると思います。彼らは自分の体が楽器であり空間と響きで同化させる事でいかに効率良く声を響かせるかを常に研究しています。
それに対して
調律師の音を合わせている時の心の中は??
(これは20代の調律師阿部の心中を描写しています)
消えろ消えろ
時間がない
頼むから消えろ
商品価値のある音に成ってくれ!
時間がない消えろ
と、こんな感じです。消えろと心の中で叫んでいるのは音が合わない事で発生する特有の音、その音が出ている限りピアニストに楽器を渡す事は出来ませんし仕事を終わる事が出来ません。
とこんな感じで全くもって非音楽的なおぞましい心中でピアノと格闘しているのが見て取れます。
私は上記の2つの音を合わせる過程の心理状態を体験し味わってみて調律師の時の音を合わせる行為は「何か間違っている」事に気がつきます。
ピアノの調律の合わせ方を一言で言うと
引き算的に音を作り上げています。
都合の悪い音を切り捨て消し去ろうとしています。
それに対して音楽の現場で行われる音を合わせるということは
足し算です。
1+1は2ではなく2.5か3になります。
それが本来的な音楽的音の合わせ方であると気がつきます。
その後、ピアノの調律の現場で行われいる事は何か間違っているという罪悪感に囚われ続ける事になります。