社名

2019年1月2日(水)

名は体を表すというが、今年から社名がベヒシュタイン・ジャパンとなった。

取扱品目の中心にはベヒシュタインがあったが、南ドイツのザウター、フランスのラモー (後にプレイエル)、イタリアのフルシュタイン、ドイツ ノイペルトとザスマン チェンバロなど、ヨーロッパのピアノ、古楽器を扱っていた。消費者にわかりやすい社名がオペレーション上適切だろうという意味で、99年にユーロピアノという社名にタイヨー・ムジーク・ジャパンから変更した。今回は、2度目の社名変更になる。

日本のみならずヨーロッパも、デジタルピアノと安価なアジア製のピアノの台頭の影響もあり、多くのピアノメーカーが生産中止、廃業、アジア勢による資本の乗り入れに追いこまれるのを特にリーマンショック後、遺憾千万にも体験させられた。

楽器は言うまでもなく音楽を表現する為のものであり、演奏表現要求の中で変化し、又、楽器の変化が演奏表現や作曲に影響を与えていることから、人の持つクリエティビティーが常に並存している事がわかる。このことからも楽器は、機械のテクノロジーの進化と同レベルに単純に置くことができない製品だと私は考えたい。

こんな事を以前ピアニストに言われた事がある

「美しいと思える気持ちは、感受する側の心にある。野に咲く一輪の花に“美しい”と心を奪われる人もいれば、大きな花束にこそ反応する人もいる」

侘び寂びは日本固有美意識、と聞くことがあるが、西洋の音楽表現にも、現代我々が身を置く一般的な環境からすれば、清楚な中に力を感じたり、複数の意識の呼吸が大きなエネルギーを放射する静かな場面に出会う事がある。

日本は、そのような表現こそをそもそも美意識としてきた筈である。が現在、一般的にどうだろう?

ベヒシュタインが、ピアノという前世紀の音楽表現に必要だった楽器を、いかに現代に適合させながら先人の意識を継承できるか、日本での発信意義は高く、責任も決して小さくない。