ジストニアという病気を知ったのは、レオン・フライシャーだった。
92歳で亡くなったと今朝の新聞で知った。つい先日もG.セルとのグリーグやシューマンの協奏曲のCDを買ったばかり。若くバリバリ弾いていた時期のものだ。その後名前をあまり聞かなくなるのは、上記のジストニアになってしまい、ピアニストよりは指揮者、指導者としての活動にシフトしたためだ。ピアニスト年鑑には過去のピアニストのような扱いで載っていた。
汐留ベヒシュタイン・サロンに急に来たのはもう4、5年くらい前になるか? スタジオを使いたいという話だったと思う。自分は休んでいたので、サインをもらってほしいとスタッフにお願いしていたが、話はそれだけで終わらなかった。
彼の師はA.シュナーベルで、ベヒシュタインでベートーヴェンのソナタも録音している。シュナーベルの言葉からとったポスターが、ピアノを前にしたシュナーベル夫妻の写真とともに店内に飾ってあったのを目にし、この写真はどうやったら手に入れられるか?と聞いてきたらしい。聞くと、息子さんがシュナーベルの研究をしていて、その画像がどうしてもほしいのだとか。スタッフがベヒシュタイン本社に聞くと、すごく重要なピアニストだから、写真があるか?と逆に聞いてきた。その時の来日の契約からか写真はNGだったようだが、サインだけはなんとかもらえた旨を伝え、当時本社のFacebookにも「来社した!」という感じで載ったのを記憶している。
この数年は両手での活動も復活し、「Hands」というCDも出していた。汐留サロンに来るピアニストも、フライシャーのサインを見ると「来たんですか?」と少し興奮気味に聞いてきたこともあった。教育、指導の分野ではかなりの影響力があった人だったのだと後で知る。ラフマニノフの「パガニーニの主題による変奏曲」がよかったなぁと思い出したので、今日はまた聞いてみようと思う。もちろんサポートはG.セル&クリーヴランドだ。