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Carl Bechstein (カール・ベヒシュタイン)1826-1900
ベヒシュタイン創業者。1826年6月1日にザクセンのゴータに生まれる。父は音楽家で熱心な勉強家であったが、カールが4歳のときこの世を去った。母は数年後、古くから付き合いのある一族のアグテと再婚した。アグテは厳格な父親であったが、カールにピアノやヴァイオリン、チェロのレッスンを受けさせた。姉エミーリエはピアノ工房を構えているヨハン・グランツという職人と結婚し、カールはこの義兄のもとでピアノ製作の修業に励んだ。その後、ドイツのピアノ工場で技術を磨いたが、1849年には当時ピアノ製作では世界一といわれたパリへ移り、中でも有名であったクリーゲルシュタインの下で修業した。その後、1853年10月1日にベルリンでベヒシュタイン工場は操業、1856年には最初のグランドピアノを製造した。
Anton Rubinstein (アントン・ルビンシュタイン)1829-1894
ロシアのピアニスト、作曲家。19歳でデビュー、ヨーロッパ各地で活躍。ペテルブルク音楽院開設(1857)に協力し、学長も務める。「ロシア5人組」と対立し辞職、その後はピアニストとして成功をおさめ、晩年はドレスデンに定住した。彼はリストと並ぶ19世紀後半最大のピアニストとしての評価は揺るぎなく、作曲家としてもロシア音楽創造の牽引役となり、交響曲、オペラ、協奏曲など多彩な作品を数多く書いて独自の道を切り開いた。風貌がベートーヴェンに似ていると「Van Ⅱ世」とも呼ばれた。
Duke Ellington (デューク・エリントン)1899-1974
アメリカのジャズの作曲家、編曲家、ピアニスト、オーケストラ・リーダー。「デューク」はその身のこなしから友人らが呼んだことによる。
Jorge Bolet (ホルヘ・ボレ)1914-1990
キューバ出身のアメリカのピアニスト。アメリカ・カーティス音楽院で学び、指揮法もF.ライナーに学ぶ。後にパリにてL.ゴドフスキ、M.ローゼンタールにも師事。R.ゼルキンの助手を務めた後、カーティス音楽院で後進の指導にあたる。ベヒシュタイン使用のリスト演奏で名を馳せる。
Franz Liszt (フランツ・リスト)1811-1886
19世紀きってのピアノ・ヴィルトゥオーゾ。6歳からピアノを始め、翌年には公開の場で演奏を披露。ウィーンではベートーヴェンの弟子のチェルニーに師事。若いころはピアノ・アイドルとして最高の人気を誇っていたため、オペラのパラフレーズやサロン風の小品などで演奏技術追求的な作品が多かった。年齢を重ねるごとにヴィトゲンシュタイン侯爵夫人の示唆もあり、志知兄演奏活動から身を引き、作曲と教育活動に重点を置くようになる。特に晩年は僧籍に入り、ワイマールに居を構え、多くの弟子たちに囲まれ、無報酬で彼らにピアノを教えた。ショパンと人気を二分するピアノ界の大御所。作曲面では管弦楽曲の新しいスタイル、交響詩を開発するほか、ピアノ曲でも音色の探究者として、調性を離れ抽象的な作風に踏み入れていった。(画像はリストハウスの貸出されたBechstein)