The Heritage Wall No.3 -right side-

2022年1月9日(日)

 

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Bartok Bela (バルトーク・ベラ)1881-1945

1910-1920年代にかけて民謡収集と研究に基づく民族主義的語法と半音階主義により、独自の前衛的作品を発表した。しかし、ベートーヴェンを模範として、単一主題に基づく動機労作や対位法を用いるなど古典主義的な側面も合わせ持つ。

ピアノ作品は独奏曲の他、協奏曲を初期から晩年期まで継続的に書いているが、ピアノソナタと題する作品は1曲書いているのみで、小品として書かれたものがほとんどである。ピアノ小品は、収集研究した農民歌、あるいは舞曲に基づくものが多く、声あるいは打楽器的要素を反映した非ピアニスティックな要素により、伝統的なピアニズムを超えている。ピアノと他の楽器によるアンサンブル作品においても、打楽器と組み合わせることにより、鍵盤打楽器としてのピアノの特性を引き出している。自身の音楽語法を反映させた子供のための練習曲も遺している。

 

Edvard Grieg (エドヴァルト・グリーグ)1843-1907

北欧ノルウェーが生んだ国民主義作曲家の巨匠。劇音楽「ペール・ギュント」で世界的名声を博し、特にピアノ独奏曲や声楽曲のジャンルで、北欧音楽独特の澄んだ色彩感や和声感のある名品を残した。「北欧のショパン」とも呼ばれる。

 

Sergei Rachmaninov (セルゲイ・ラフマニノフ)1873-1943

ピアニストとしてモスクワ音楽院在学時から頭角を現わし、華麗な技巧を駆使したピアノ作品の作曲とその演奏で名を成した。交響曲第1番の失敗でうつ病を患うが、ニコライ・ダーリの治療で復帰、「ピアノ協奏曲第2番」で復活を果たしたエピソードは有名。

ロシア革命以降は一度もロシアの土を踏まず、アメリカ、西欧諸国でピアニストとして活躍。作品の多くがピアノのために作曲されている。ロシア正教会の鐘の音を思わせる和音、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」の主題などを数多くの自作品に取り入れるのを好んだ。作品解釈の規範として、自作自演録音が数多く遺る。

 

Dave Brubeck  (デイブ・ブルーベック)1920-2012

ウェストコースト・ジャズの代表的なピアニスト。母親からクラシックの教育を受け、D.ミヨーにも師事した。5/4拍子などユニークな拍子を持つものがあり、音楽的パートナーのP.デズモンド(Sax.)が作曲の「Take Five」は彼らの代表曲である。

 

Wilhelm Backhaus (ウィルヘルム・バックハウス)1884-1969

ライプツィヒ出身のドイツのピアニスト。10代でブラームスに賞賛され、1900年にはロンドンデビュー。雄大なスケールと完璧なテクニックで「鍵盤の師子王」と呼ばれる。E.ダルベールに師事。

 

Wilhelm Kempff  (ウィルヘルム・ケンプ)1895-1991 のサイン

21歳の時ベルリンでデビュー。約70年にわたり、ヨーロッパ、南北アメリカ、日本で演奏した。オルガニストでもある。ドイツ・バロック、古典、ロマン派音楽の権威。バックハウスと人気を二分した20世紀を代表するピアニスト。後進の指導にも熱心、1957年以降ポジターノでの講習会は有名。

 

Artur Schnabel  (アルテュール・シュナーベル)1882-1951

オ-ストリア出身のユダヤ系ピアニスト。チェルニー門下のレシェティツキ―に師事。技巧よりも表現を重視した演奏を行った。ベートーヴェンの全ソナタをベヒシュタインで初録音したのは有名。他にモーツァルト、シューベルト、ブラームスを得意とした。ベルリン音楽大学教授も務める。L.フライシャーも師事している。

 

Walter Gieseking (ワルター・ギーゼキング)1895-1956

リヨン生まれのドイツのピアニスト。ハノーファー音楽院に学ぶ。1923年ロンドン、1926年ニューヨーク、1929年パリでデビューし世界的名声を博す。美しく繊細な音色と、主観を排した「新即物主義」演奏で有名。

 

 

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