ピアノを選ぶとき、コンクールへの参加を迷うとき、何を大切にすればよいのでしょうか。イヴ・アンリ教授へのインタビュー第3回は、フランスのノアンで続く音楽祭と、日本のピアニストたちとの交流から始まります。
アンリさんが審査員長を務める「第6回ノアン フェスティバル ショパン イン ジャパン ピアノコンクール」(2027年4月本選)の予選申し込みが9月1日(火)からスタートしました。今回はこのコンクールについての想いや参加する意義などを熱く語ります。
ノアン フェスティバルの会長を務め、パリ国立高等音楽院でも教えるアンリ教授。聞き手のレンツとともに、作品が生まれた土地で学ぶ意味、アマチュアが演奏する喜び、長く付き合う楽器の選び方を考えます。これから人前で弾く機会をつくりたい方にも、日々の練習をもっと楽しみたい方にも、お届けしたい対話です。
羊小屋にピアノとベンチを置いた、音楽祭の始まり
レンツ:ノアン フェスティバルとコンクールについて伺います。現在の音楽界において、この音楽祭ならではの魅力や独自性を生み出しているものは何でしょうか。
アンリ:このフェスティバルは、ジョルジュ・サンドのノアンの館で開催されています。フランス革命の頃、18世紀末に彼女の祖母が購入した館です。祖母は安全上の理由から、パリから遠すぎず、少し離れた静かな場所を求めました。現在もショパンの時代と同じように、自然に囲まれた穏やかな場所です。
アンリ:音楽祭のきっかけは、1966年にアルド・チッコリーニが行った二つの演奏会でした。ショパン・リサイタルとリスト・リサイタルです。当時は、今日ほど音楽祭が盛んではありませんでした。ショパンの名作やサンドの小説が生まれた土地でロマン派の音楽を聴く。その特別さに、人々が気づいたのです。
その最初の演奏会について、教授が挙げたのは、立派なホールの話ではありません。雨が降りそうな空模様を受け、急いで演奏の場所を用意したというエピソードでした。
アンリ:聴衆が集まったのは、敷地内にあった古い羊小屋でした。天気が悪く、雨も降りそうだったので、そこにピアノといくつかのベンチを設置したのです。その体験をきっかけに、人々は音楽祭をつくろうと考えました。当初からピアノを中心として発展していきました。
アンリ:それ以来、ルービンシュタイン、アラウ、ブレンデル、バイロン・ジャニス、近年ではキーシンやソコロフなど、多くの演奏家が訪れています。ピアノだけでなく室内楽や声楽の公演もあり、バーバラ・ヘンドリックスやジェシー・ノーマンも出演しました。
作品と土地の歴史を、実際に聴く経験へ結びつける。その音楽祭で教授が大切にしているもう一つの仕事が、次の世代へ演奏の機会を渡すことです。
日本からノアンへ。一週間の滞在で変わる作品との向き合い方
アンリ:舞台を通じて芸術を継承することは大切ですから、若い才能の発掘と育成にも力を注いでいます。音楽祭が50周年を迎えた2016年、私たちはベヒシュタインとともに、ノアン フェスティバル ショパン イン ジャパンのコンクールを始めました。ショパンと特別な結びつきを持つ若いピアニストを発掘するためです。
アンリ:ショパンは、モーツァルトのように世界中で理解される、普遍的な作曲家です。この取り組みでは、2年ごとに若いピアニストを選び、ノアンに一週間滞在する機会を提供しています。マスタークラスを受け、ジョルジュ・サンドの家で演奏し、土地の歴史やショパンの時代の楽器文化に触れる。そして、音楽祭のクロージング・コンサートにも出演してもらいます。
ただ演奏会に出るだけでなく、学ぶ時間と、土地や楽器に触れる時間がある。教授は、その経験をした若い演奏家たちの変化を見守ってきました。
アンリ:毎回、素晴らしい出会いがあります。第1回の松田彩香さんや昨年の第5回 島田瑚子さんも、その例です。ノアンでの体験を経ると、ショパンの音楽への理解や向き合い方が深まり、さらに探究したいという意欲が高まるのを感じます。ショパンを通じてフランスと日本、そしてヨーロッパを結ぶ交流ができることを、私たちはうれしく思っています。
アンリ:このコンクールを始めたのは2016年です。次回の本選は、2027年4月に開催される予定です。
レンツ:その後フランスへ行く機会を得られることは、日本の参加者にとって素晴らしい経験になりますね。
アンリ:将来プロを目指す若い人たちに加えて、より年少の参加者のための部門もあります。成長を継続して見守り、その後ヨーロッパへ留学する人たちとも、深い絆が生まれています。
現在の応募区分、年齢条件、各賞の内容は、末尾の公式案内をご確認ください。ここで紹介しているノアン滞在は、教授が語る選考・育成の取り組みであり、参加者全員への提供を意味するものではありません。
音楽を自分で演奏する人への敬意
教授は、プロを目指す若者の話に続けて、音楽を楽しむために弾く人たちの存在を挙げました。
アンリ:もう一つ、ショパンの音楽にとって大切なのが、アマチュアの部門です。音楽は、自分で演奏することによって、違った味わい方ができるからです。高度な技巧を必要としない比較的シンプルな作品でも、良いピアノの響きや音色に触れながら弾くことは、喜びに満ちています。
アンリ:私は、音楽をただ消費するだけではなく、自ら実践しているすべての人に深い敬意を抱いています。日本でも、こうした方々を20年近く定期的に指導してきました。レッスンを終えて笑顔で帰っていく姿を見るのは、本当にうれしいことです。
アンリ:ほんの些細なポイントを説明しただけで、音色を変える方法が分かり、ピアノが突然違った響きを生み出し始めることもあります。
レンツ:自分で演奏することには、格別の喜びがあるのですね。ピアノや音楽を愛するすべての方へ、メッセージをお願いします。
アンリ:ピアノを愛する人たちは、とても幸運だと思います。ピアノは、ほぼあらゆる音楽に触れることを可能にしてくれる楽器です。常に好奇心を持ち続け、新しい作品との出会いを求めてほしい。さまざまな形で音楽を楽しんでください。
一人で弾くことも、誰かと音楽を分かち合うことも
ピアノの楽しみは、一人で一曲を仕上げることだけではありません。教授は、共演や連弾にも話を広げます。
アンリ:ピアノは一人で演奏できますし、歌手やほかの楽器の伴奏、室内楽も楽しめます。私の兄はヴァイオリニストですが、ヴァイオリンは誰かと一緒に演奏する機会が多い楽器です。一方、ピアノには広い独奏のレパートリーがあり、パートナーとの共演も、一台での連弾もできます。
アンリ:連弾では、モーツァルトやシューベルトの交響曲の編曲版に触れることもできます。弾く楽しさを誰かと分かち合えるのです。
レンツ:まさに「箱の中に入ったオーケストラ」ですね。
アンリ:その通りです。19世紀にはまだラジオがなく、家庭で音楽を聴くために、自分たちでピアノを演奏していました。多くの編曲作品がつくられたのも、そうした背景があるからです。
家族の一員になるピアノを、耳と心で選ぶ
レンツ:これからピアノを選ぼうとしている人には、どんなアドバイスをされますか。
アンリ:ピアノは長く使える楽器です。2年や3年で時代遅れになるものではありません。家庭に迎えられると家族の一員になり、何世代にもわたって受け継がれることもあります。
アンリ:最初から最高級のピアノを手に入れる必要はありません。ただ、音楽を探求する過程で、十分な満足を得られる響きの質を備えた楽器を選んでほしいと思います。住環境や条件に応じて、より大きな楽器へ進むこともできます。音響的な可能性という点では、グランドピアノは豊かな表現力を備えています。
価格や大きさを決めるだけでは、楽器選びは終わりません。二つ目の助言として、教授が強調したのは、自分自身が音を聴いてどう感じるかでした。
アンリ:何よりも、耳と心で楽器を選ぶことです。その音色に喜びを感じられるか。親近感や相性を感じるか。実際に弾き、その楽器がどのように響くのかを聴かなければなりません。ピアノはカタログだけを見て選べるものではないのです。
アンリ:同じメーカー、同じモデル、同じサイズのピアノが並んでいても、その中に好きだと感じる一台があります。それぞれに個性があるからです。
レンツ:良い耳を持つことと、心で感じること。その両方が大切なのですね。
アンリ:ええ。演奏できる人に一緒に来てもらうのも良いでしょう。ほかの人が弾いたときに、そのピアノがどう響くか。客席側から聴くことも参考になります。
自分で弾く音と、少し離れて聴く音。二つの聴き方を通じて相性を確かめる、具体的な楽器選びの助言です。
コンクールは、準備と挑戦のバランスを学ぶ機会
レンツ:最後に、コンクールへの挑戦や応募をためらっている方へ、一言お願いします。
アンリ:まずは一歩踏み出してみることです。それがあなたを前進させます。コンクールは完璧なシステムではありません。音楽は、ストップウォッチだけですべてが決まるスポーツとは違い、もっと繊細で複雑なものです。
アンリ:それでも、半年後に演奏する機会があると分かれば、明確な目標になります。練習し、考え、先生のもとで学び、その過程で成長できます。入賞できればうれしいですが、入賞しなくても、審査員と話して、何が評価され、何が十分に伝わらなかったかを知り、助言を受けることができます。誰かに聴いてもらう機会そのものも、大きな励みになります。
この励ましには、準備の時間を確保してほしいという助言も伴っています。
アンリ:参加を直前に決めないことです。弾き手の中で作品が熟成するには時間がかかります。少なくとも5〜6か月は準備が必要です。本番で自分の力を発揮できるように、真摯に準備することと、思い切って挑戦することのバランスを見つけてください。
レンツ:芸術家として成長するために、挑戦の場に身を置き、講評や評価を受けることが大切なのですね。
アンリ:公開マスタークラスでも同じです。自分の演奏が聴衆に影響を与えていることを、演奏者自身が実感できます。音楽に詳しくない聴き手でも、心を揺さぶる演奏と、技術的な感嘆を誘う演奏の違いは分かります。
アンリ:音楽とは、美しい楽器や楽譜の上の音符だけではありません。作曲家がメッセージを伝えるために、どう作品を書いたのかを理解し、それを楽器とともに響きとして形にする。その一連のプロセスすべてが音楽なのです。
作品を学び、楽器の響きを聴き、自分の演奏を誰かへ届ける。ノアンでの育成も、普段のレッスンも、コンクールへの挑戦も、この過程を深める機会になります。私たちも、演奏する方が自分の音を探せる場と、楽器との出会いを大切にしていきます。
続く特別実演編では、言葉で語られた音楽の考え方を、演奏とともにお届けする予定です。
ご自身の耳と心でピアノとの相性を確かめたい方は、ベヒシュタイン・セントラム 東京へご相談ください。
https://www.bechstein.co.jp/dealer/hibiya_centrum_tokyo
『第6回ノアン フェスティバル ショパン イン ジャパン ピアノコンクール』の最新の募集要項はこちら。https://www.bechstein.co.jp/news/6th_nohant_festival_chopin_injapan_competition

