「先生のピアノと自分のピアノのタッチが違う」、「先生のピアノはグランドで、うちはアップライトだからうまく弾けない」とよく聞くフレーズ。
先生の持っているピアノと自分の持っているピアノは異なるので、同じタッチや音色であるというのは無理な話(近づける行為はできるかもしれない)。 そもそもメーカー、モデル、使用頻度が違うということを理解していない方が多いのに驚く時がある。
プロフェッショナルなピアニストは、自分のピアノを持って移動することはほとんどない。よって会場やその場ににあるピアノを弾くしかない。おのずと違いがあるもので、それを十分に理解した上でどう表現するか、できるかを常に考え実行している。アマチュアのピアノ弾きは、なおさら移動できないので、ピアノごとにいろいろと違うということを認識した上で、このピアノだったらこうしてみよう、この場合はこうもできるのでは?といろいろと前向きにいろいろと試みるチャンスに変えていってほしいと思います。「できないこと」を探し出したらキリがありません。
「先生のピアノ」が素晴らしいと思ったら、そのピアノを調整・調律している技術者にいろいろと相談するというのも一考です。心ある技術者ならば、相談にのってくれると思います。どこまで近づけられるかはその技術者の腕次第?
私の「先生のピアノ」は、2人ですがどちらもY社製のグランドでした。お一方はわざわざ浜松まで選びに行かれたと話していたのを覚えています。自分の家のピアノは福山ピアノの「ウィルヘルム」アップライトだったので、そもそも響きも異なり、比べるとタッチもかなり重かったのだろうと記憶をたどりました。当時は「先生のピアノ」を弾きやすいとも考えもせず弾いていました。こんなもんなんだろうなと。今だったら比べてみて、家のピアノとの違いなど不満がいっぱいあったのではないかと思います。今はベヒシュタインのclassic118を弾いていますが、これも後ろに吸音パネルを置いています(今の住居では必要がないのですが、パネルの置き場所がなく、そのままピアノの後ろに鎮座)ので、ほかのところのピアノとは環境も異なり、比べることすらしていません。
「先生のピアノ」の次に「セヴラックのピアノ」についても少し。
デオダ・ド・セヴラックは、ドビュッシーに「良いかおり(土の薫りとも)のする音楽」言わしめたフランスはラングドック地方の作曲家です。日本では舘野泉、チッコリーニなどの演奏で耳にするようになりましたが、自分は内藤晃さんの動画でさらに興味がわきました。コンサートに取り上げるには地味な感じですが、藤田真央さんもどこかで弾いていた動画がアップされていました。特に「休暇の日々」の「ロマンティックなワルツ」が有名ですが、その曲集中の「おばあさんが撫でてくれる」もとっても良い曲です。内藤さんにいつかベヒシュタインで弾いてほしいなと思っています。
次は「ソ連’(ロシア)のピアノ」について書いてみようかと思います。