2026年5月25日、私たちベヒシュタイン・ジャパンは、ベヒシュタイン・セントラム 東京にて、トークイベント『大人のピアノ再挑戦がくれるもの。—— 稲垣えみ子さんが語る、50代からのピアノと人生』を開催しました。
登壇いただいたのは、エッセイストで『老後とピアノ』著者の稲垣えみ子さんと、その指導者であるピアニストの米津真浩さん。50歳で朝日新聞社を退社し、40年ぶりにピアノを再開した稲垣さんは、現在W.ホフマンのグランドピアノとアップライトピアノ、2台のオーナーでもあります。
当日の対話を、3回に分けてお届けします。第1回のテーマは「出会い」。なぜ50歳でピアノに戻ってこられたのか。なぜピアニストが初心者を教えるのか。大人になってから何かを始めたい、あるいは再開したいと考えているすべての方に読んでいただきたい内容です。
イベントはドビュッシー「小組曲」よりメヌエットの演奏で幕を開けました。弾き終えた稲垣さんの第一声は「緊張しすぎてしまって。今、終わったという喜びが溢れています」。会場に笑いが起きたところから、トークが始まりました。
稲垣: 某日本のピアノメーカーさんとイベントをさせていただくことが多くて、何回か先生と二人で全国を回ってきました。
はっきり言って、私にとっては地獄のイベントで(笑)、イベント前の練習が本当に厳しいんです。いくら練習しても心配で、私の仕事の中で費用対効果がものすごく悪い。一番カロリーを使う仕事ですね(笑)。
でも、よく考えると、世の中には素晴らしい演奏を聴かせに日本全国や世界を回っているピアニストの方がたくさんいます。
下手なピアノを聴かせに全国を回っている人は私だけじゃないかな、希少価値があると自分に言い聞かせてやっています。
自虐で会場を沸かせた稲垣さんですが、今回私たちが登壇をお願いした背景には、あるご縁がありました。稲垣さんは現在、ピアノを2台所有しています。しかも2台ともW.ホフマンです。
稲垣: グランドピアノは、今日販売させていただいている『老後とピアノ』という本を書いて、その本が思いのほか売れまして。
本って大体売れないんですよ。売れると思わないで書かないと、生活が行き詰まる。
だから売れるとボーナスみたいなものです。このお金をどうしようと思ったときに、自分の懐に入れて老後の資金ができた、うっしっし、というのは違うんじゃないかなと。
あの本を書けたのは米津先生のおかげですし、ピアノ業界もそうですし、ピアノを長いこと弾き継いでくださったすべての方々のおかげです。
これはピアノ業界に還元しなきゃいけないと思って、そのお金でホフマンのグランドピアノを買いました。
そのグランドピアノは現在、米津さんのレッスン室に置かれ、生徒さんたちのレッスンにも使われています。稲垣さんはレッスンで使われていない時間に練習に通う。この関係が、私たちベヒシュタイン・ジャパンと稲垣さんをつなぐきっかけになりました。
小学校でやめて、50歳で戻ってきた
稲垣さんとピアノの歴史は、多くの方と同じところから始まっています。
稲垣: 私の年代の女子はほぼ全員ピアノをやっていました。子どもにピアノを習わせることが親世代の夢だった時代です。
でも、まず先生が怖い。自分が練習していかないと先生がますます怖い。それで嫌になって投げ出す、よくあるパターンです。
小学校卒業と同時にピアノをやめました。弾いていたことも忘れていました。
転機は50歳。会社を辞めたときでした。
稲垣: ピアノをもう一回やってみたいと、40年ぶりに思ったんですね。
ただ、ピアノもないし、うちも置ける家じゃないし、どの先生に習っていいかもわからない。ハードルが高すぎると思っていたんです。
ちょうど近所のブックカフェに行ったら、たまたまピアノが置いてあった。いいなと思って少し弾いていいですかと聞いたら、どうぞどうぞと言われたんだけど、当然弾けないですよね。
ここから、稲垣さんらしい展開が始まります。そのカフェの常連に、ピアノ雑誌「月刊ショパン」の会長がいました。稲垣さんが会社を辞めた経緯を書いた本を読んでいた会長から「うちの雑誌になにか連載してください」と声がかかります。
稲垣: クラシックのことは知らないし、ピアノも当時全然やってないし、書くことないですと言ったんです。
でも、ふと思いついて。
このカフェにピアノがあって、私にはピアノをやってみたい気持ちがある。ここで練習させていただいて、40年ぶりにピアノを再開した実録記なら書ける。
ついては、原稿料をもらわなくていいので、このカフェのピアノのレンタル代プラス先生のレッスン料を原稿料で当ててもらえないか。
ピアノ雑誌ですから良い先生をご存知だと思うので紹介してください——という、すごい虫のいいお願いをしたんです(笑)。
本当にあのとき、よく知恵が働いたなと思います。
会長の返事は「それはいいですね。今、大人になってピアノを再開したい人は多いから、きっと読まれる」。そして紹介されたのが、ピアノの先生ではなく、ピアニストの米津真浩さんでした。
稲垣: 私は当然ピアノの先生を紹介してもらえると思ったんです。
そしたらピアニストが来た。え?みたいな。
あとから聞いたら、会長の娘さんである社長が「私だったら絶対若くてかっこいい人がいい」と。
その理由で米津先生を選んだらしいんです。
米津: それ、本当ですか?(笑)
稲垣: 本当です。でも私としては、ピアニストに教わるなんて猫に小判すぎると思ったんです。
そもそもピアニストが素人にピアノを教えてくれること自体、知らなかった。
先生、ピアニストが初心者を教えることはあるんですか?
米津: ありますよ。普通にあります。
僕はレベルは全く関係なく、大人になって一からピアノをやってみたいという方から、ピアノの先生や音大生、プロを目指している子まで、幅広くレッスンをしています。
ピアニストといっても、日本には資格がないんですね。ドイツには国家資格があるんですけど、日本では何をしたらピアニストになるという基準がない。
僕はピアノレッスンをすることにすごく魅力を感じているので、レベルに関係なくやらせていただいています。
「お金じゃない」——米津さんがレッスンを続ける理由
ここで稲垣さんが、率直すぎる質問を投げかけます。
稲垣: 先生は演奏活動がメインなので、ピアノを教えるのはお金のためかなと思ったんです。
ピアニストもそんなに儲かる世界じゃないし。
米津: 生々しいな(笑)。それもぶっちゃけあるかもしれないですけど。
でも、僕は幼稚園のときに父が倒れて、小学1年のときに父が癌で亡くなりました。もともと家にお金がなかったので、レッスンに行くお金も全部なくなってしまって。
ただ、幼稚園の担任の先生の親戚がたまたまピアノの先生をされていて、僕の家庭環境を知っている担任の先生が紹介してくださったんです。お月謝も払えなかったんですけど、それでも「遊びに来ていいわよ」と言ってくれた。
その先生のおかげで、ピアノをずっと続けてこられました。つらいときも悲しいときも、常にクラシック音楽がそばにあった。
クラシックで救われた人生を僕は歩んできたので、少しでも興味を持ってくださる人や愛好家の人が増えたら嬉しい。そういう気持ちでレッスンをしています。
稲垣: お金じゃないってことですね。
初レッスン。「どう弾きたいかは、すごい伝わってきた」
最初の課題曲は、稲垣さんが小学生時代の最後の発表会で弾いた「きらきら星変奏曲」の抜粋でした。40年のブランクは、想像以上でした。
稲垣: 楽譜の読み方も覚えていない。ヘ音記号は全く覚えていなくて、ト音記号も怪しかった。
そこから2ヶ月、鬼の練習ですよ。初レッスンは、あれだけ緊張したことはないというくらいで、自分が自分じゃないみたいな感覚でした。
練習では一回もやらないミスを連発して、途中でわからなくなって立ち往生して、めちゃくちゃな演奏だったんです。弾き終わったときは息も絶え絶えでした。
そのとき先生がおっしゃったことを、私は本当に忘れないんですけど、「すごいじゃないですか」って言われて。
「どこが?」という感じだったんです。
先生は、弾けていないところはいっぱいあるけれども、「稲垣さんがどう弾きたいかはすごい伝わってきた」と言われて。
それがすごく心の支えになっています。今もそうなんです。
自分がどう弾きたいかなんて、そのときは弾くのに必死で考えてもいなかった。でもピアニストがそう言っているんだから、きっと私の中に弾きたいという気持ちがあるのかな、自分の中に音楽が流れているんだなと思ったんです。
それでいまだに続けているというのもあります。でも先生、結構みんなにそう言ってるんですよね。
米津: 褒めて伸ばす、嘘ですよ——なんてことはないです(笑)。
音楽って答えがないんですよね。
楽譜に書いてあるドレミを外したら確かに間違いかもしれないけど、それ以上に、皆さんそれぞれいいところが必ずあるんですよ。
音楽のノリがいい方もいるし、自然とポンと出した音が綺麗な人もいる。最終的に書いてある音符を全部外さずに押せたとしても、それが音楽になるかはまた別問題なんです。
稲垣さんの初めての演奏には、ここを力強く弾いてみたいとか、ここは悲しそうに弾いてみたいとか、音楽のイメージが自然と伝わってくるものがあった。だからそう言ったんだと思います。
稲垣: 先生に習っていてすごく思ったのは、どんな演奏の中にも音楽を見つけられるのがピアニストなんだな、ということです。
人の演奏に、ミスタッチがあるとかないとか、いいとか悪いとかコメントする人は本当にたくさんいます。
でもそうじゃなくて、どんな演奏の中にも音楽を見つけられる人をピアニストというのでは、とすごく思うんです。
「好きな曲をやってください」の真意
きらきら星変奏曲の次はショパンのワルツ。当時の稲垣さんは「ショパンが誰かも知らなかった」そうです。楽譜が読めないため、音符の下に赤でドレミを書き込み、黒鍵にはすべて赤で印をつけ、楽譜が真っ赤になったところで「白鍵に印をつければよかった」と気づいた——そんなスタートでした。それを終えたとき、米津さんから意外な言葉がかけられます。
稲垣: 「次は稲垣さんの好きな曲をやってください」と言われて、えー、と。
子どもの頃は、曲は先生がくれるものというのが常識でしたから、自分で好きな曲を選べることにびっくりしたんです。
正直、最初は手抜きかと思ったんですよ。選ぶのが面倒くさいのかな、って。
米津: 違いますよ(笑)。大人の方って、時間がないんですよね。専業主婦の方は家のことをやらないといけないし、外で働いている人も本当に時間がない。
限られた時間をピアノに使うのに、基礎練ばかりだと面白くないですよね。
好きな曲を探すために、稲垣さんはピアノ名曲集を聴き込むようになり、「自分が弾くと思って聴くと真剣になる」ことで、ピアノそのものが好きになっていったといいます。ただし、米津さんの方針には続きがありました。
稲垣: 最初は易しめの短い曲ばかり選んでいたんですけど、先生から「自分の実力よりちょっと上の曲を選ばなきゃダメ」と言われて、今はとんでもないことになっています。
好きな曲を弾くのは楽しいんですが、自分が好きな曲を全然弾けないというショックもあります。
米津: でも、それは僕たちも経験してきたことです。
稲垣さんが言っていた、シャープがついている音に赤丸を書くとか、僕もやってましたし、みんなそうなんです。
先生と生徒という位置付けにすると先生が偉いみたいに思われがちですが、そうじゃなくて、同じことをやっているだけ。長く続けているだけなので、気持ちはよくわかります。チャレンジしてズタボロになったとしても、その後にいろんな曲を勉強すると、テクニックが上がって、戻ってきたときに前よりも弾けるようになっている。
稲垣さんもさっき楽屋で「最近弾き方がわかってきたかも」とおっしゃってましたよね。
その気づきがあると、前にやった曲をもう一度やってみたときに、もう一段上の演奏ができるようになりますから。
50歳での再挑戦は、立派な決意から始まったわけではありませんでした。カフェにたまたま置いてあった一台のピアノ、雑誌連載という「虫のいいお願い」、そして紹介されたピアニストの「どう弾きたいかは伝わってきた」という一言。偶然と行動力と、誰かの言葉。その積み重ねが、8年続く再挑戦を支えています。
私たちベヒシュタイン・ジャパンは、こうした一人ひとりの「もう一度弾いてみたい」に応えられる場でありたいと考えています。第2回では、「1日3時間練習しても上手くならない」という大人のピアノのリアルと、それでも続ける意味について、お二人の対話をお届けします。
▼稲垣さんが2台所有するW.ホフマンについては、こちらでご紹介しています。
https://www.bechstein.co.jp/bechstein/hoffmann
▼稲垣さん所有モデルはこちらです。
W. HOFFMANN T-161




