強弱で、音の色彩はどう変わるのか——イヴ・アンリ教授が語る「音の錬金術」【インタビュー第2回】

2026年9月2日(水)

イヴ・アンリ教授へのインタビュー第1回では、演奏と教育を切り離せないと考える理由、ノアンでショパンを本当の意味で「発見」した経験、そして演奏家が音色を探究できるベヒシュタインの可能性について伺いました。

第2回は、その「音色」がどのように生まれるのかを、さらに掘り下げます。強弱によって色彩が変わる仕組み、ショパンがペダルで切り開いた響き、ロマン派の音楽に欠かせない「歌うピアノ」、日々の練習で楽器が果たす役割。最後には、ショパンの音楽世界へ深く入るために必要なベルカントと明晰さへと話がつながります。

 

強弱が変わると、音の色彩も変わる

 

レンツ:ピアニッシモとフォルティッシモでは、音の色彩も変わるのでしょうか。音の強弱によって、色彩は変化しますか。

アンリ:ええ、変わります。そしてそれは、弦が互いにどのように共鳴し合うかに関係していると思います。

アンリ教授は、この共鳴の働きを、ショパンがピアノの書法において大きく発展させた要素だと説明します。ベートーヴェンやシューベルトの書法を、シューマンやメンデルスゾーンがある程度古典的な形で引き継いだ一方、ショパンはペダルの使い方によって新しい次元を切り開きました。

アンリ:ショパンは異なる音域にある音どうしを結びつけ、伴奏の音によって旋律を豊かに支えることで、メロディをいっそう美しく響かせました。耳でははっきりと感じ取れますし、倍音同士の共鳴の仕組みとして物理的にも説明できるはずです。

初期作品から生涯を通じて追求されたその響きを、アンリ教授は「音の錬金術」と呼びます。音量が大きくなる、あるいは小さくなるだけではありません。弦と弦が反応し合うことで色彩が生まれ、さらに弾き方によってその色彩を変えていくことができます。

ショパンからドビュッシーへ受け継がれた色彩

ショパンは、画家ウジェーヌ・ドラクロワと、絵画や音楽における色彩の表現についてたびたび語り合っていたとアンリ教授は話します。その探究は、後にドビュッシーへと受け継がれました。

アンリ:音楽そのものは異なりますが、ピアノという楽器の扱い方は同じ系譜の中にあります。だからこそ、ショパンの音楽と非常に相性の良いベヒシュタインは、ドビュッシーの音楽とも見事に調和するのだと思います。

ショパンでは、郷愁や絶望、英雄的な高揚感といった感情が、音の色彩として現れます。ドビュッシーでは、水や風景の印象が音によって形づくられます。対象は異なっても、共鳴とペダルを通じて、ピアノの中に色彩や雰囲気を生み出す点ではつながっています。

アンリ教授は、ドビュッシーが近代的な楽器の恩恵を受けながら、ペダルと共鳴の可能性をさらに押し広げ、別の音楽の「宇宙」を築いたと説明します。ベヒシュタインは、華やかさや技巧だけを示すための楽器ではなく、より繊細な芸術表現を探究するための余地を与える。そこに、この楽器でドビュッシーを弾く意味を見いだしています。

理解した瞬間、楽器がすぐに応えてくれる

 

ベヒシュタイン・セントラム 東京でのマスタークラスでも、アンリ教授は色彩と共鳴の関係を実感したといいます。

アンリ:生徒が何かを理解し、それに対してピアノがすぐに応えてくれる瞬間というのは、本当に励みになるものです。生徒は、ほんの少し弾き方の条件を変えるだけで、突然、楽器を立体的に扱えるようになったことに気づきます。

公開形式のマスタークラスでは、変化は演奏者だけのものではありません。弾き方が変わり、響きが変わると、客席の聴講生の表情も変わります。

アンリ:私はよく生徒にこう言います。「ほら、今お客さんが笑顔になったでしょう。何か違うものが聴こえたんですよ」と。

その違いを生むためには、演奏者の意図を受け止める楽器が必要です。音域ごとの自然な明晰さを保ちながら、音同士の共鳴によって色彩を変えられること。一枚岩のような単調な音ではなく、空間全体を立体的に満たす音楽をつくれること。楽器を製造するベヒシュタインと、それを次世代へ伝える演奏家・指導者には、音の一つひとつが芸術的な意味を持つことを示すという共通の目標がある、とアンリ教授は考えています。

ひとつの楽器の中に、歌と伴奏がある

 

レンツ:ほかにも、この楽器に特に合うと思われるロマン派の作品やレパートリーはありますか。

アンリ:実際のところ、この楽器ではほとんどあらゆる作品がよく響きます。ただ、この繊細さという点では、シューベルトやメンデルスゾーンの音楽には特によく合うと思います。また、私自身がよく演奏することもあり、シューマンの音楽にも非常に思い入れがあります。

ロマン派の音楽は、「歌うピアノ」という発想の上に成り立っています。ショパンだけでなく、シューマンの作品にも歌う要素があり、歌曲を数多くピアノ用に編曲したリストも同じ系譜にあります。

アンリ:ロマン派の音楽は、伴奏を維持しながら、この「歌」を表現することを要求します。それこそがピアノという楽器の特性です。ひとつの楽器の中に、歌と伴奏の両方が存在しているのです。

音の繊細さは、モーツァルトの古典派の様式、とりわけ協奏曲の緩徐楽章にある歌にも合うといいます。ラフマニノフ、プロコフィエフ、バルトークについては、自身の演奏経験が少ないため深くは語れないと断った上で、楽器に合わない理由はないとも述べました。自分が本当に得たい響きを追求できることが、アンリ教授にとっての喜びです。

ここで、スタッフからの提案を受け、言葉で語ってきた音色とニュアンスを実際の音で確かめる実演をお願いしました。アンリ教授も「実際に聴いていただくほうが分かりやすいと思います」と応じ、その後、インタビューは日々の練習と成長の話へ進みます。

上達に必要なのは、発想と、それに応える楽器

 

インタビュー後半では、日々の練習と成長に話題が移ります。

レンツ:この楽器で学び、練習することは、技術面や音楽面の成長につながるのでしょうか。

アンリ:上達するために必要なことが2点あります。まず、「自分が何を実現したいのか」という明確なアイデアを持つこと。そして次に、「それをどうやって実現するか」を探究することです。

アイデアがなければ、探すべき音が定まりません。一方で、どれほど明確なアイデアがあっても、それを音に変えられる楽器がなければ、実現には苦労します。演奏者の発想と、アクション、タッチ、音響面で応える楽器。その両方が必要です。

アンリ:私たちはよく「ピアノ・テクニック」と単数形で言いますが、実際にはテクニックは一つではなく、無数に存在します。何千もの技法があり、それぞれが異なる音楽的な目的や発想に対応しています。

速く弾く、強く弾くといった一つの能力だけを伸ばすのではありません。表現したい音楽が変われば、それを実現するための身体の使い方や鍵盤への触れ方も変わります。多様なアイデアを音にできる可能性が広がるほど、演奏者の技術は洗練され、演奏をより自由にコントロールできるようになります。

歌う音と、複数の声部を届ける明晰さ

 

レンツ:ショパンの音楽世界に真に深く入り込むために、不可欠だと思われる要素は何でしょうか。

アンリ:まずは「歌う能力」です。ベルカント、すなわち楽器を歌わせること。それが何よりも重要です。

アンリ教授によれば、現代のピアノはショパンの時代の楽器より音の立ち上がりが速く、瞬時にピークへ達する一方、そのぶん音が急速に衰えることがあります。ベヒシュタインは急激な立ち上がりだけを追求するのではなく、音をより長く支える性質を保ってきました。それは創業時からの美学に基づく選択であり、ベルカントの理念と調和します。

もう一つ重要なのが、音楽的なメッセージの明晰さです。ショパンは毎日バッハを弾き、対位法を学び直していました。ノアンの机にはケルビーニの対位法教本が置かれ、手紙にも再び対位法の研究を始めたと記していたといいます。

私たちの耳は、最も聴きやすい旋律だけを追いがちです。しかしその内側には、対旋律や複数の音の層があります。アンリ教授が重視する明晰さとは、それらを一つの塊にせず、各声部の役割を保ったまま聴き手へ届けることです。

1840年代にショパンが弾いていたピアノは、低音域、中低音域、中高音域、高音域で響き方が明確に異なっていました。ショパンはその特徴を踏まえて作曲し、ペダル指示や細かな記号を楽譜へ書き込みました。右手の旋律、中音域の和音、その下の低音が、ペダルを踏んでも混ざり切らず、それぞれの役割を保って響く。その構造を現代のピアノで再現するには、力強さだけでなく明晰さが必要です。

同じ方向を目指したドビュッシーは、ペダルの指示をほとんど書かない代わりに、低音、中声部、上声部へ異なる強弱や奏法を細かく指定しました。その指示を音として描き分けることができたとき、楽譜に記された音響の世界が現れます。

アンリ教授は、その違いを、美術館で本物の絵画を見ることと、写真による複製を見ることにたとえました。複製から構図や色は分かっても、本物と向き合ったときと同じ感動になるとは限りません。楽譜に書かれた構造を具体的な響きへ変え、聴き手へ届けられるかどうかが、音楽の受け止め方を変えます。

アンリ:私たちに必要なのは、本物の感動を聴き手へ届けることのできる楽器です。ベヒシュタインは、まさにそれを可能にしてくれる楽器だと思います。

音色は、音そのものに最初から固定されているものではありません。作曲家の書法、弦と弦の共鳴、ペダル、演奏者のアイデア、そしてそれに応える楽器が重なって生まれます。第2回の対話は、音を「きれい」「力強い」と形容するだけでは見えない、響きの構造を具体的に示すものでした。

次回は、ノアン フェスティバルと日本でのコンクールについて、アンリ教授の経験を伺います。

ベヒシュタイン・セントラム 東京では、C. Bechsteinのピアノをご試弾いただけます。強弱だけではない音色の変化や、声部が混ざり切らずに響く明晰さを、実際のタッチでお確かめください。

https://www.bechstein.co.jp/dealer/hibiya_centrum_tokyo